堂本剛にあこがれて
5月22日放送、日本テレビ系列の番組「今夜くらべてみました 3時間SP」で渡辺直美が「87年タメ会」なる企画を開催し、そこで1987年生まれの女性芸能人、著名人が集合した。
1987年生まれが体感したKinki Kids論争
そのなかで、同年代、タメ年にとっては数々の分かりみ深いトピックが登場し、「Kinki Kids、どっちが好き」論争が小学校のときに話題だったことで盛り上がる。当時流行ったプロフィール帳の質問欄、好きな芸能人は? という質問には「堂本剛」と書いておけば間違いなかったというエピソードが飛び出し、番組内ではワイルドな堂本剛人気が圧倒。そしてある程度、大人になってから王子様キャラの堂本光一の魅力に気付き、結果Kinki Kidsはとにかくヒーローだったという話に。
僕の小学校ではプリンス堂本光一が好きな女子が多かったけど、おマセさんが多かったのだろうか。そんななかで、女子だけではなく僕にとっても堂本剛は憧れの存在だった。そんな旨のツイートを何気なくしたところ、おそらくKinkiファンのひとたちがいいねやリツイートをしてくれた。みずしらずの、わけわからんアイコンのくそアカウントのつぶやきにも関わらずだ。Kinki Kidsのその人気と影響力の大きさを実感した次第だ。
俳優、堂本剛からKinki Kidsを知る
これを機にいろいろ思い出したので個人的なエピソードとともに堂本剛について振り返ってみようと思う。以下、堂本剛についてジャニーズマナーを踏襲し、敬称略、剛くんと書かせてもらう。(すみません)
僕が剛くんを初めて知ったのはKinki Kids、アイドルとしての剛くんではない。俳優としての剛くんである。
記憶を辿ってみると、テレビで剛くんの出演作をリアルタイムで初めて観たのは1995年TBS系で金曜日に放送されたテレビドラマ「セカンド・チャンス」だったと記憶している。主演は田中美佐子と赤井英和で、主題歌は岡本真夜の大ヒットナンバー「TOMORROW」である。剛くんはこのドラマに、シングルマザー田中美佐子演じる春子の長男役「渡(ワタル)」を演じていた。
このワタルが、バスケ部所属で人気者。春子に好意を抱く赤井秀和に反発したり、喧嘩っぱやい。こじらせた思春期のグレ方が見事に表現されていて、当時小学生だった僕にはかっこよく映り、剛くん演じるワタルに憧れた。
堂本剛がジャニーズのアイドルと知ったのはこの後である。同じく赤井秀和、堂本光一と共演した名作「人間失格」は再放送で見直した。
さらに同年1995年日テレ土曜ドラマ枠「土9」のスペシャルで「金田一少年の事件簿」が実写ドラマ化。初回放送はスペシャル版として「学園七不思議殺人事件」が放送された。このときの殺人鬼、“放課後の魔術師”がとにかく恐ろしくて、当時のトラウマキャラになったことは言うまでもない。その主人公金田一一(はじめ)を演じたのが剛くんである。そしてその後、金田一少年は連ドラ化する。この頃、マガジンで連載されていた原作「金田一少年の事件簿」は人気の推理ミステリー漫画で、僕も楽しんで読んでいた。金田一みたいに髪を結びたいと憧れたものだ。(ドラマ版の金田一一は長髪ではないので髪を結んでいないが)そんな金田一一を、剛くんが演じて連ドラ化なんて、僕にとっては最高でしかなかった。調べてみたらドラマの第一話は僕の誕生日に放送が始まっていて、バカかもしれないけど何か運命じみたものを感じてしまった(笑)
重要なのがこのドラマのエンディングテーマである。剛くんのソロ曲として歌われた「ひとりじゃない」がめちゃくちゃ良かった。でも、まだKinki Kidsとしてデビューしてなかったから音源がなかった。というか、なんでテレビいっぱい出てるのにCD出してないんだろうと子供ながらに不思議だった。まだ小学生だったからカラオケとか行くわけじゃないけど、ビデオ撮って、エンディングを巻き戻したりしながらメモに歌詞を書き写したりしていた。
1997年、ついにKinki Kidsデビュー
1993年からKinki Kidsは1997年についにデビューする。1997年に設立されたレコード会社「ジャニーズ・エンターテイメント」の最初の作品として、4年の歳月を経て待望のデビューシングル「硝子の少年」をリリース。179万枚の大ヒットを記録する。しかも、このシングルは1stアルバム『A album』と同時発売。 デビューシングルとともにデビューアルバムを切るという所業をやってのけたのだ。しかし、『A album』には「硝子の少年」は未収録。『A album』にはあの「ひとりじゃない」が収録されていて、いとこの兄から借りて、ダビングして聴きまくっていた。この頃(確か、小学校3年生か4年生くらいか)のおこづかい事情では、アルバム、シングルを同時に買うなんてことは不可能だったからだ。まだMDプレーヤーはなかったから、家にあったカセットプレーヤーで聴いてたかな確か。
『A album』にはデビュー以前、各々がドラマ出演した主題歌やライブで歌われていた楽曲が収録されていた。「若葉のころ」の主題歌「FRIENDS」、金田一少年の後に放送された堂本光一主演の「銀狼怪奇ファイル」(これ、金田一以上に恐くてトラウマだった)のエンディングテーマ「僕は思う」、「金田一少年の事件簿(二期)」の「Kissから始まるミステリー」など、名曲が揃い踏み。デビューシングルと同時発売されたこのアルバムもミリオンヒットを記録している。
「硝子の少年」は山下達郎が作曲を手がけてロックバンド「はっぴいえんど」のドラマー松本隆が作詞を手がけている。超豪華。今聴いても素敵だ。
2007年には12cmマキシシングルとして再発。山下達郎バージョンもいいんだよね。YouTubeにしかないみたいだけど、どっかから音源出てないのだろうか。
2ndシングル「愛されるより愛したい」は土9ドラマ「ぼくらの勇気 未満都市」の主題歌だった。これについては、友人とやってるサイトで書いてるので見てみてほしい。冠番組「LOVE LOVE あいしてる」こと“LOVEあい”についても書いている。
そして3rdシングル「ジェットコースターロマンス」で僕は初めて、自分の小遣いでCDを買った。レンタルショップでCDを借りてはカセットにRECしてというスタイルの音楽視聴を続けていたが、このシングルが記念すべき最初に買ったCDとなった。こちらも作詞作曲は山下達郎である。
大人になってから知ったのだけれど、僕の音楽ルーツにおいて山下達郎は欠かせない存在のようだ。Tyler, The Creatorの最新アルバム『IGOR』収録「GONE,GONE/THANK YOU」でもTylerが弾き直していたしね。最高だね。
話は逸れたが、僕はその後も堂本剛の影響を受け続けることになる。「LOVEあい」でギターを弾いていたのを真似したくて、雑誌のうしろに広告が載っていたセットでいくら! みたいな安物のギターセットを誕生日に買ってもらったりした(全然弾けなかったけど)。この頃から僕はミーハーだったし、クソみたいなポーザー(カッコだけはつけるけどやらないやつ)だったんだなと思う。
資生堂「ジェレイド」が僕を大人にした
そして小学校も高学年になったころ、剛くんがイメージキャラクターを務めていた資生堂の男性用化粧品「ジェレイド」シリーズが登場する。「無造作ヘア」をキーワードにヘアワックス(当時はまだワックスとか珍しかったかもしれない)などの整髪料を発売していた。男性用のファンデーションもあったり今振り返ってみるとけっこう当時革新的なブランドだったんじゃないかと思う。
image via watashi+ by shiseido
写真は資生堂運営のコスメECサイトwatashi+で扱われている現行のもの。
まだ売ってたんだね。
ジェレイドのCMの剛くんの真似をして、「無造作ヘア」を目指し「ジェレイド」のワックスを使っていた。週刊少年ジャンプの雑誌の広告に載っている剛くんを参考に、納得のいく前髪の無造作感を目指したけど、何が正解かすら分からないまま、ベタベタとワックスをつけるばかりであった。ちゃんとスタイリングできてんのか、できてないのかは正直分かっていなかったが、ジェレイドをつけたら、気分は剛くんである。
それからファッション誌をみたり、ヘアスタイル誌を見たり、いとこの兄の影響もあって、髪型やファッションに気を遣うようになったのは間違いない。剛くんは、幼い僕にスタイリングやファッションの嗜みを教えてくれたのだ。
※しかし、中学生になるといろんなカルチャーに感化され「今日から俺は!! 」の伊藤、もしくは「BOY」の一条みたいにツンツンヘアでマユゲを細くしてと、あらぬ方向に暴走してしまう。最終的にはシド・ヴィシャスに憧れて、南京錠をぶら下げてトンボみたいなデカイレンズのグラサンをかけ、肩やヒザがやぶれた服を着たパンク小僧になってしまうのだが、それはまた別のお話。(高校時代はダボダボの服を着たヒップホップ小僧になります)
堂本剛、その自由なキャラクターとズバ抜けた音楽性
剛くんの魅力は、ビジュアルはもちろんのこと、飾らない(ように見える)振る舞いと独特な感性だと思う。いい意味でジャニーズのスキームに当てはまらないというか、枠におさまらない自由度の高さを感じる。Kinki Kids自体、デビュー前からドラマ主演や、冠番組を持っていて、圧倒的知名度を誇っていたことも異例である。しかも最初のコンサートが武道館でしょ。一昔前は、日本のアーティストが目指す聖地日本武道館が、スタートの場所という、ものすごい優遇されているというかKinki Kidsってほんとにスターの道を歩んできたんだなと思う。(そこに至るまでの下積み時代があり、とっくに彼らのスタートは僕らの知らないところで切られているわけだが)逆にプレッシャーはハンパじゃなかっただろう。
前述したように最初に剛くんを見たとき、俳優だと思っていて、アイドルだとは思っていなかった。(役柄の影響はあったと思うが)
そして何より、あえて誤解を恐れずに言うと、アイドルだけれど歌がうまい。うますぎる。ちょっと鼻にかけたビブラートボイスがたまらなくかっこいいし耳ざわりがいい。マイケル・ジャクソンに電話で歌唱指導してもらったという逸話もある。
そしてセンスがズバ抜けている。というかアート全般が好きっていうのがめちゃくちゃ伝わってくる。イラストを描いたり、ファッションブランドと協業したり、さまざまな分野を横断しその才能を発揮している。それも全て事務所が承認の上でというのも素晴らしいことだ。これほど自由に、いろんなことができているジャニーズ所属のアーティストも珍しいのではないだろうか。
音楽が救いと本人がかつて語っているが、Kinki Kidsとは別の、いくつもの名義で行ってきた、ソロプロジェクトの楽曲を聴けば音楽への造詣の深さと愛が伝わってくる。
特に、昨年のSUMMER SONICでのENDRECHERIで出演したパフォーマンスには衝撃を受けた。SNS上で話題となり、僕がニュースライターをやっている音楽/ポップカルチャーメディアblock.fmでも記事になった。たまたま実際に現場を観ていたということで記事中に僕のコメントを挿してもらえた。
※この記事の執筆者は僕ではないのと、ライターさんにせっかくコメントを挿してもらったのに、僕自身がジャズについて全く知識がないので稚拙なコメントになってしまい非常に申し訳ない気持ちである。興奮してただのファンAになってしまった。
この記事は敏腕ライターさんによって執筆され剛くんやENDRECHERIを知る人も知らない人も、ENDRECHERIについて分かりやすく書かれており、その魅力が存分に紹介されているので、ぜひ読んでみてほしい。
俳優、アイドル、ミュージシャン、アーティスト。剛くんの魅力はひとことに肩書きでくくれない多彩(多才)なキャラクター性にある。いずれにおいても、妥協しない姿勢がファンの心を掴むのだろう。TV番組「正直しんどい」みたいなゆるい時もあれば、独創的な世界観を音楽やアートで表現してみたり。堂本光一と並んだKinki Kidsとしてはもちろんのこと、そんな剛くんが僕は大好きだ。今でも。
今年、剛くんは40歳になるという。信じられねえ。と思ったけど気づいたら1987年生まれの僕もいい歳ぶっこいていることになる。しかし、年齢にとらわれず、憧れの剛くんみたいに自由な発想と枠組みで、自分にできることを磨いていきたい。