僕にとっての人に対しての「好き」の最大到達点
僕にとっての人に対しての「好き」の最大到達点
僕は色んな人の好きの概念を知りたいです。
なぜ知りたいかというと 大多数と自分の好きの概念が違うという事に気付いたからです。人の数だけたくさんのレールがあると思いますが、まず僕にとっての人に対しての「好き」のレールを紹介したいと思います。
僕自身、全然普通な事だと思ってたのですが
一般的にみたら普通じゃなかったみたいです…
まず普通ってなんだ??一般的ってなんだ??笑
僕は 人を好きになる その人を知れたことが 僕にとって その人に対してものすごく嬉しい最大到達点であります。 人とずっと一緒にいたいとか体を交えたいとか自分のものにしたいとかよりも、なによりも 好きになった 知れた もちろん嫌いになったということもそうだけど なったこと自体が僕にとって、ものすごく嬉しいことで、それ以上に勝るものが今のところないし、それ以上求めるものも全くないし、人に対してそこで満足なのです。
なにかを好きになったり嫌いになったりするまでには 知ることが必要になってくるし、そのために行動を起こしたり、考えたりしているその時間に「本当に価値があるなぁ」と僕は思うし、その時間がなによりも好きなんです。
ただここで問題なのが
多くの人は「好き」が進むらしい…
恋愛に例えると分かりやすかもしれません。
一般的な多くの考えは恐らく 好き→付き合う→結婚→家族 という形にするとこういう流れになっていると思うが この流れに沿うと
僕は 『好き』で終わるので、それ以降は全く興味が無いし進みません。しかし、これを一般的な人等に話すと 「チャラ男だね、不誠実だね、思わせぶりだね」、などと言われてしまい「そういうことじゃないんだけどなぁ」となってしまいます。
これに関しては 学校に行ってたり会社にいたり大勢の組織の中でいた時、僕は本当に苦しみました…苦しすぎて毎日泣いていました、毎日怒っていました、よくわからん激しい虚無感に襲われていました。その原因の根っこは教育システムにあると思っています…
その人にとっての概念のレールで「好き」のそれぞれの最大到達点に向かって進行しているので、ぼくの好きの概念でいくと「好き」が最大到達なので僕は付いていけなくなるし、付いていかないといけなかったりします。もちろん、付いていってどういうものか知ろうという努力は自分ができる範囲やってみましたが、それ以降に進むと本当に苦しみになり、やっぱりぼくの最大到達点は 「好き」でした。
それを踏まえた上で、僕はそういう概念の人と、どうやって様々な関係を構築していけばいいのだろうか?と非常に悩んでおります…
「そういう人等とは関係を築かなければいい」とうことになってしまうのか?…
そんなのは、なんか嫌なので、僕なりに考えて辿り着いた策は 「そもそも人間は理解し合えない前提で、理解し合えないことを理解する」というレールを作った上で 人と接することだなと思いました。
僕はそのレールを 僕の好きなもので、作っていこうと決めました…(決めたのは高校卒業したくらいで、もう4年も経ってしまいましたが…💦)どんどんそのレールを色んな場所で作っていこうって思いました
そこで、今までの人も、まだ会ってない人も出会えたらいいなぁ