こころの荷物を下ろしましょう
山を味わうとか
野菜でみんなを幸せにしたいとか
言ってますが
実は看護師もしておりまして
あ、知ってましたか笑
今日は少し農業を離れてこちら(どちら?)の方面でお話しさせていただきます。
友達のスーパーポジティブキラキラウーマン
みきこさんに誘われて
講演会に行ってきました。
「こころの指南塾」
現役の看護師さんで僧侶の玉置妙憂さんの講演でした。
とてもおだやかで
それでいて爽やかで
笑いのセンスもバツグン
一緒の空間にいるだけで癒される
そんなステキな方でした。
色々とお話しをされて
うんうんとうなづいてばかりいたので
首が痛くなったほど笑
すーっと心に染み込んできました。
僧侶でもあるのでお釈迦様の教えなんだと思いますが
やはり日本人なのか
この時期なのか
それともこの年齢に達したからなのか
まるで答え合わせでもしているかのように感じました。
中でもとても素敵だなと思ったのは2つ
⑴この世は諸行無常と知る
なーんか中学の国語の授業で聞いたフレーズですよね?^^;
この世の中には同じ形であり続けるものは何一つない
辛い事が永遠に続く事もない。後になって考えてみるとどうってことない事に気がつく
常に変わり続けている
物事が変わっていくのをただ見ているしかない
諦める
というのは実は悪い意味ではなく
その「諦」の意味を漢和辞典で調べると
つまびらかにする
そのままみる
観察し真相をはっきりさせる
あきらかにする
つまり
諦めるというのは
あきらかにそのまま眺める
という意味合いなのです。
私たちがもがき苦しんで
どうしたら変われるのか、
苦しみから解放されるのか、
ジタバタしなくてもよいという事らしいのです。
今、この人生をふりかえってみると
かなりジタバタしたなぁと笑
早く知っていればもう少しおしとやかに
できたかも?
(いや違うだろうなぁ。。)
いや、このジタバタこそが
人生の学びなんですよね笑
⑵自利を満たす
ジリって何?( ¨̮ )??
ですよね?
実際変換してもこの字は出てきません笑
もう1つ
「利他」とは?
自分のことよりも他人の幸福を願うこと
らしいです。
確かに仏教というのは自分よりまず他人を幸せに
という印象がありますよね。
でも私たちって宗教に関わらず、そう教えられてきていませんか?
自分の欲を満たすことは、はしたなく卑しいこと
自分より他人
自己犠牲こそ美徳
でも実はそうでは無いんですよ、というお話しです。
えーっ??
それでいいのぉ〜??♪
ってまさにそんな感じでした。
例え話もしてくださいました。
ここに1杯の水があります
自分もとても喉が渇いているけれど
そばにもっと喉の渇いている人がいます
自分も飲みたいけれどその気持ちを押し殺してお水をあげました
その途端お礼も言わずに逃げるように去って行きました
するとあなたはどうなりますか?
怒りが湧きますよね
せっかくなけなしのお水を分けたのにお礼も言わないなんて、と。
怒りとなって自分に返ってきてしまうのだと
自分に余裕がない状態では人を助ける事は難しいのだそうです。
逆に自分がお腹も満たされている状況で同じ事が起こったらどうですか?
例えお礼も言わずに逃げて行ったとしても
あぁ、元気になってよかったね、と思えるのでは?
というお話しでした。
自分を満たす=自利を満たす
もちろん人の為に善い行いをする事は素晴らしいし素敵な事です。
でもその前に
自分も満たしてあげましょうね!!
という事です。
美味しいお気に入りのコーヒーを飲む
旦那さんに内緒でお高いランチに行く笑
季節のお花を花びんにかざりうっとりと眺める
私の野菜ちゃん達をお嫁に出す時
あ、これわたしか笑
小さなことから大きなことまで30くらいあるといいそうです。
こうやって満たされる方法をいっぱいもっている人が自立した「人」ですよね。
こうなると男とか女とか
職業とか年齢とか
もうどうでもいいような気になってきますね笑
また講演会も続くので楽しみです。
さあ、みんなでジリをいっぱいさがしましょ