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【好きなこと=嫌いなこと】 #05 問題

「何が問題なのだろう?」

ぼくは企業のコンサルティングをここ数年やらせてもらっている。その中で、「こうこうこういう問題があるのでアドバイスがほしい、助けてほしい」といった相談を受けることがある。コンサルタントとは、問題を解決してくれる人、もしくは問題を解決する手助けをしてくれる人というわけだ。これは、"一般的な"コンサルタントの定義だろうし、ぼくもその範疇にあるように思う。


ただ、最近、ふと思うことがある。というか、かなりの頻度で、ぼくの脳裏をよぎる言葉がある。

「それって問題なのだろうか?」

これには二つの意味がある。一つは「それ以外に他に問題があるのではないか?」という意味。もう一つは「そもそも問題などどこにも存在しないのではないか?」という意味である。

そして、ここで特に書いておきたいのは、後者の「そもそも問題などどこにも存在しないのではないか?」という問いだ。言いかえれば、

「問題を無理やり作り出し、その問題に自ら苦しめられていないか?」

という問いである。

この問いを立てるとまず耳にするのが、「ギャップアプローチじゃなくて、ポジティブアプローチの方がいいよね」という意見だ。(2つのアプローチの意味は割愛。調べてドウゾ。)

結論から言うと、次の問いを投げかけたい。

「ギャップアプローチじゃなくて、ポジティブアプローチの方がいいよね」というこの考え方自体が、ギャップアプローチ的な考え方であるということには気づいているだろうか?

つまりは、「"ギャップアプローチ"という問題を作り出していないか?」ということだ。

屁理屈のようにも聞こえるだろうが、ぼくとしてはこの認識をするかしないかというのは、とても大事なことだと思っている。なぜなら、この認識がないと、「問題を無理やり作り出し、その問題に自ら苦しめられる」可能性があるからだ。問題は本当にそこにあるかもしれない。ただ、一方で、問題を作り出すのは、往々にして、概念や言葉にとらわれた自身にあるのかもしれない。そして、それに対峙する手段は無数にあるのだ。先日の人類学読書会でとある方から教えてもらったベルクソン、彼はこのようなことを言っていたらしい。"問題"に過敏に反応しすぎていないか、ふりかえるためには胸熱な言葉だ。

「言葉に引っ張られるなよ。間を見ろよ。イメージだ。」

誤解のないように書いておくと、(というよりも、そもそもこの記事のタイトルにある通り、)ぼくは"問題"が好きでもあり嫌いでもある。ぼくにとって、"問題"は仕事をくれる営業マンでもあるし、時に敵になるやつでもあるし、時にそっと傍に寄り添っている空気のようなものでもある。ああ、"問題"ちゃん、なんて可愛いやつだろう。愛おしくて憎らしい、prpr。

取り乱してしまったが、私は「問題」がとても嫌いで、とても好きなようである。

all photo by tomohiro sato.

で、結局どうしたらいいか?という話は皆が気になることだろうけど、この記事のメッセージとは別のところにある気がするので、一言だけ。
「"問題"とか"問題じゃないやつ"も含めて、みんなで、存分に語り直すことがまず起点になる。」というのがいまのぼくの持論である。


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