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サッカー×歴史というかけ算で交流人口を増やしたいと真剣に思っている話。
レノファ山口FC公式YouTubeチャンネルにお邪魔させていただきました。
過去の対戦を振り返るというマッチヒストリーなのに、ヒストリーを振り返ってしまってすみません(まず謝罪)。
この短い動画の中ではすべてを説明することができなかったので、ここで少し補足をします(とても簡単に)。
そもそも大村益次郎という人を皆さんはご存知だろうか。村田蔵六という名前の方が全国的には有名かもしれないな。
今の山口市鋳銭司にて医者の家に生まれ、若い頃から大坂の緒方洪庵の適塾などで蘭学を学びます。なぜ蘭学かというと、将来は父のあとを継いで医者になるのが道理だったので、西洋医学を学ぶためにはオランダ語が必要だったのですね。
益次郎は、蘭学に加え西洋兵学も学びます。秀才すぎて適塾の塾頭にまで登り詰めます。
そして時が経ち、「鋳銭司に帰って医者を継いでくれ」と父に頼まれ帰郷。医者となるのですが、益次郎はもともとコミュニケーション能力が高いとは言えず、病院がまったく流行らないんですね。
そんな中、黒船に乗ったペリーが「開国シテクダサイヨォ~」と言って(ラーメンズ)浦賀にやってきて、かくかくじかじかあって不平等な条約などを結ばされて日本は大混乱。遂に鎖国を解くことに。
この世の中の流れからして、蘭学が必要になるのです。翻訳しかり、黒船のような船を造るにしても。
そこで益次郎に白羽の矢を立てたのが、宇和島藩(現在の愛媛県宇和島市)だったのです。
益次郎はその蘭学の知識を買われて宇和島藩に藩士として出仕することになり、西洋兵学や蘭学の講義、翻訳などで活躍します。またこの時、長崎で軍艦の製造も学びます。
そうこうしていると、宇和島藩主伊達宗城の参勤交代に従って江戸へ行くことに。ここでは私塾『鳩居堂』をひらき、また幕府の講武所(武芸訓練所)で教えたりとこれまた大活躍。
その噂は江戸にいる長州藩士の耳にも届き、ここで長州藩士の桂小五郎などと出会います。長州では全く関わりがなかったのに、です。面白い。
そこで「え?あなた長州の出なの?ならば帰ってきてくれないかな、今長州大変なのよ」と説得され、長州藩の要請で長州藩士となります。
その後は軍事改革の総責任者を任され、幕末の重要な戦争では彼が学んだ最新の西洋兵学を取り入れて勝利をあげ、明治維新を成し遂げるのです。
非常に簡単に彼の幕末までの人生を振り返りましたが、どこが島屋選手やねん?島屋選手はコミュ力高いよ?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)
戦術家という点でいうと、渡邉監督やアナリスト(テクニカルコーチ)の弓谷さんや山本さんが近いのかなと思いましたが今回は選手でということで、それなら島屋選手だろうと。(島屋選手はコミュニケーション能力はとても高いので、その部分も益次郎とは違うけれど)
島屋選手はレノファ山口FCをJ2まで引き上げた立役者であり、その活躍が光り他チームに引き抜かれ、J2だけではなくJ1の景色をもその目で見てきた。さらに、持ち前の戦術理解力の高さから渡邉監督の知的なサッカーにもしっかりフィットできているように感じます。
シーズンはじめに取材をさせて頂いた時も「自分は徳島や鳥栖で色々なものを見てきた。それを山口に還元したい」と仰っていました。
此処に留まっているだけでは見えなかった、知り得なかった景色というものはたくさんあったのだと思います。
その知識や経験を引っ提げて帰ってきてくれたことは、チームとしてもクラブとしても多方面で大きな好材料だと思うのです。
吉田松陰先生の言うところの「飛耳長目」ですね。
…ということで、島屋選手を挙げさせていただきました(説明が長い)。
それともう一つ。
愛媛FCにはマッチシティ・マッチタウンというものがあります。この日に設定された市町村は、試合会場でPRやイベントなどが行われます。
なんと、次回の愛媛FCのホーム戦(6月13日 vsツエーゲン金沢)は、宇和島市マッチシティなのです。
勝手に凄い偶然だなぁと思いました。
できることなら、この宇和島市マッチシティの一週間前ですから、山口に来られた愛媛サポーターの皆さんに鋳銭司観光をしてもらいたかったなぁという思いでいっぱいです。
こんな世の中じゃなかったら、Jリーグの観戦が観光にも繋がるのになぁ…。
Jリーグは、このようにサッカー以外の繋がりが、サッカーファン(クラブのファン)またはその地域のファンを増やせる可能性を秘めているのではないかとも思っていますので、歴女としてこれからも何かと紐づけていきたいと思います。(無理矢理感はあるけど)
次回(あれば)もお楽しみに。