#101 子供の頃『悪』と教わった事が職業に変わる時代からの学び
今回のテーマはゲームです。女性だろうと男性だろうと、子供だろうと大人だろうと、誰しもが触れたことのある世界なのではないんでしょうか。
特にスマホを使い、通勤時間にプレイしている方だったり、休憩時間でやってる人たちなど、いっぱいいますよね。子供も大人も。僕はいま小学校二年生、7歳の娘がいるのですが「スイッチが欲しい、スイッチが欲しい」とずっと言っています。7歳でも周りに何人か持っている子がいるんですよね。
自分が過去に散々ゲームにはまっていたのに、子供に対しては今のところ禁止しています。僕のゲーム人生といいますか、歩みは、小学生のときにまずスーパーファミコン、高学年になってから販売されました。低学年の時にファミコンが世にでたのですが、これは家庭の方針で禁止だでした。だから友達の家で少し遊ぶ程度でした。
そして、小学校高学年になって受験勉強が終わり、中学受験も合格しスーパーファミコンを買ってもらいました。
若い世代の方もう馴染みがないかもしれませんけれども、今も続編がでている「マリオカート」はスーパーファミコンで誕生しました。そして「シムシティ」というゲームを聞いたことのある人がいるかもしれませんが、これもスーパーファミコンで誕生しています。ゲームをやる時間は決まっていました。1日30分。これはね良かったと僕は思っています。決まりがないと制限なくなりますからね。
ただ、高校生になり自分でアルバイトをするようになると、少しお小遣いにゆとりが出てきます。
ちょうどこの頃、初代プレイステーションが発売されました。このときに誕生したのが、バイオハザードです。映画化もされているのでご存知の方多いと思います。
大学生になり一旦距離が
そして、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどのロールプレイングゲームもファミコンからプレイステーションに引き継がれ、まだまだ続いている作品ですね。その後、プレイステーションはご存知の通り2、3へと進化を遂げていくのですが、僕は大学生になりゲームから距離を置くことになります。
中学と高校は男子校、大学生になって初めて共学になりサークルにも入り、過去の記事(アナ試験倍率1300倍を突破「奇跡」の起こし方)でもお伝えしましたが、大学2年生から僕は就職活動に本腰を入れるようになりました。小学校5年生のときからアナウンサーになりたかった、そして大学生になって倍率が千数百倍であることを知り、このままだとダメだ、自分が夢を叶えるためにどうしたらいいんだ、という思いからいろんな活動をしていくことになります。
なので、大学生のほとんどは「勉強をしていた」とは残念ながらあまり大きな声で言えないのですが、自分自身が夢を叶えるために何をしたらいいのか、そういうことを模索していました。
そして、無事アナウンサーになりました。給料をもらえるようになりました。アルバイトしていたときよりも遥かに大きな額が入ってきますよね。そうなると、当時、プレイステーションのゲームソフトが7000円とか8000円していたのですが、社会人になると余裕で買えるではないか、ということでまた再びのめり込んでいくわけです。
NYでホンモノ体験し卒業
で、その後いつゲームから卒業したかというと、30歳のときにニューヨークに転勤になりました。4年間向こうにいたのですが、その時、当時持っていたゲーム機のプレイステーション、ゲームボックス、任天堂Wiiのすべてを持っていいました。でも、向こうに行くとまったくやらなくなりました。
ブロードウェイでミュージカルを観たり、国内旅行など、なんせアメリカはめちゃくちゃ広いので、いろんなところ行きました。もうゲームより遥かに刺激的で、やりたいことが出てきてしまい、ゲームを卒業し、日本に帰ってきたときに全部売却しました。
今はいわゆるテレビゲームというものは持っていません。なので、ゲーム人生は大体どれくらいでしょうか。16年くらい、小学生時代を含めれば20年ぐらいになりますかね。そこからの学びとしては、まず一つ。ニューヨークに行ったときに思ったのは、昔はまっていたシムシティというゲーム、これは町を作っていくアメリカ生まれのゲームなのですが、マンハッタンに住んだときに「シムシティそっくりじゃん」と思ったんですよ。まさに自分がゲームで見てきた世界。それが自分の生活する場所になった。シムシティのまんまだ。そして、中南米旅行に行ったとき、コスタリカでジャングルクルーズに乗りました。ジャングルの中をボートで進んでいくと、ワニが出たり巨大なカメがいたり、色とりどりの鳥が飛んでいたり、それを見たときに「これディズニーランドのジャングルクルーズのまんまじゃん」と思ったんです。
でも、この発想て間違っていて、本物の世界を見て「ゲームと一緒だ」ではなくて、本物の世界を味わって、それを先に知るべきなのではないか、とその時初めて思ったんです。
つまり「感動」というものは、本来ならば本物を味わうからこそ自分の心、体に残っていく、そう思ったんですね。
だから、ある意味これは反面教師のようなもので、二次元の世界よりも、本物の世界でこそ、もっといろいろ自分は経験をするべきだと思ったのです。
インスプレーションを得るのは素敵なこと
娘はいま特に、感受性がすごく強い時期。だから、いろんな「本物の経験」をしてほしいとおもい、キャンプに連れ出したりしています。たくさんアウトドアをさせたりしています。ひょっとしたら彼女が何かを感じるかもしれない、と思っていろいろと連れ出しています。
ただ一方で、東京オリンピックの開会式のときに選手が入場した際、ご存知の方は多いと思いますが、日本を代表するゲームソフトのBGM集が流れました。初めの1曲目で多くの人が「ピン」ときたと思います。ドラゴンクエストの曲でした。鳥肌が立ちました。そして2曲目、3曲目を聞いていくうちに「あれ?これ昔、自分がゲームをしていたときの曲だ」と気づきました。同じ世代の人間が作っているのかな、なんて思ったりもしたのですが、そのぐらいゲームは、インパクトを人に与えるものでもあったんですね。
東京でオリンピックを開催する、その選手の入場曲に日本を代表するゲームの音楽をずらっと並べる。そのぐらい作り手にインパクトを与えるものでもあるわけです。
ゲームをしない方はわからないと思うのですが、テレビを見ていると、ゲームのBGMは結構、多用されているんです。
テレビを見ていると、これは自分の局も他局も全部含めてですが「これあのゲームの音楽だ!」と、ピンと来るわけです。
番組を制作している人が同じ世代なんだな、と思ったりしますが、そのぐらい何かを作り出す、制作する人たちにインパクトを与えてきたと思うと、あながち無駄なことではなかったのではないんか、という気もするわけです。
だって自分のイマジネーション、そういったものに大きな影響を与えているのだから。
今、僕はメタバース空間作りにはまっています。このメタバースのなかで、地下を作ったり、空中に浮かぶ街を作ったり、どんどん構想が広がりそれを形にしているのですが、作っていて思ったのですが、RPGのファイナルファンタジーの影響が多分にあるな、というのことを最近、うすうす感じています。
だから、決して全てが無駄ではない。
ましてや今はゲームで生計を立てている、生活をしている人、たくさん稼いでる人がいっぱいいますよね。プロゲーマー、そしてゲーム実況もそうです。ゲーム実況を一度聞いたことあるんのですが、相当やりこんでいる人でないと解説できない見事なものでした。だから、何事も突き詰めると自分の生活を一変させるような影響を与える可能性がある。
今の段階では僕は娘に対して本物を知ってほしい、これは子育ての根底にある大原則なので、まだちょっとゲームはNGなのですが、全否定をしているわけではないので、どこかのタイミングで「楽しむ程度」ならばいいのかなと思っています。
そこから思いつくこと、発想することなどが絶対あるんです。だって大の大人が何年も研究して多額の費用をかけて開発してるものなのですから。そこから得られるインスピレーションは絶対あると思うのです。
ただ、ハマりすぎてしまわないようにきちんと管理する。それが、20数年にわたってゲームにはまってきた自分の今の考えです。
(voicy 2022年11月6日配信)
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