すみませんの癖と世の中の愛の総量の話
「すみません」
口癖になってしまっている人も多くいるのではないでしょうか。
他人を責める言葉が口癖になってしまっているよりは人当たりは良いのかもしれませんが、この言葉は見方によっては自分を責める言葉です。「すまない」ことをしてしまったと。
もちろん本当に自分が他人にどうしようもない迷惑をかけてしまった時は謝らなければなりません。だけどそれすら、必要な謝罪を必要な量ですれば良いだけで、必要以上に謝るに足る理由はなかったりします。言葉はコミュニケーションのツールです。逆に言えばコミュニケーションのツールでしかありません。その言葉を通して何を伝えどういう結果を得たいのか、はっきり自覚しておく必要があります。
反省していることを伝え、相手の誤解を解きたい。
ただただ表面上謝って相手の怒りを鎮めたい。
いろんな謝罪があるでしょう。だからこそ自分のする行動の意味をしっかり自覚することが大切なのです。
なんでもなんとなくやっているとなんとなく怒って、なんとなく悲しくなって、なんとなく謝ってしまう。
だからあとから考えるとあの時なんであんなに怒ってしまったんだろう、ってことありますよね。
謝罪も怒りも賢い人は武器として使ってきます。気分に任せてぶちまけるのではなく、必要なタイミングに必要な形で出してくる。その結果何が得られるかまで考えています。
そこまでしろとは言わないですが、果たして今謝る必要があるのか、謝ったらどんなメリットがあるのか少し考えてみる価値はあります。
それにね、僕は世の中の幸せとか愛の総量って一定じゃないと思ってて、関わりの中で増やしていけると思っています。
すみませんで自分を責めるより、ありがとうと伝えた方が相手も満足するケースもあるかもしれません。「手伝ってもらっちゃってすみません」より「手伝ってくれてありがとう」の方がそこに、愛が一つ生まれるでしょ。
愛をばら撒いていきましょうよ。
すみませんの習慣をやめてみよう。
世の中、すまないことなんてそんなに多くない。すむすむ、大丈夫。
それよりありがとうの練習を。