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死亡退院 〜NHKスペシャルを観て〜
このタイトルをみて、これが精神科医療に関するものだと認識できる方はどれくらいいらっしゃるだろう。
滝山病院での問題について、主に採り上げているものであるのだが、番組を観ていくと、これが精神科医療の構造的な問題と繋がっていることが見えてくる。
精神疾患がおる方はもちろんだが、身体的な疾患についても、歳をとればとるほど認知症などの精神的な問題も出てくる。そのような方々を診られるのは日本においては精神科の単科病院である。病床の問題があるからだ。
では、日本の精神科病院の歴史と現状について見てみると、日本においては精神科医療において国や公的機関はほとんどその役目を果たすことなく、民間機関に丸投げしたような歴史と現状がある。
戦後まで、精神疾患者の社会的隔離政策は続いていたし、その役目は私宅監禁という形で一般市民に背負わされてきたし、民間病院への隔離収容政策として行われてきたのである。
欧米においては、収容から社会化へと向かう流れが始まっていた中で。
来年度から、地域包括支援システムを稼働させるという政策は取られているようであるが、その舵を切るのは国であるはずであるが、その国や公的機関にはそれを行うだけの蓄積も実績もない。全ては民間医療機関の個別対応や連携の中で作られたものがあるだけである。
もちろん、それが全て、ではないが、そのような現状や歴史的経緯経緯を考えると、この問題には構造的な問題が潜んでいて、それを変えていくような働きがない限り、抜本的な改革へとは進んでいくのは難しいのではないかと考える。
なぜなら、そのような構造的問題はその社会の文化や歴史と密接に関係していると考えざるを得ないからである。
私たちの歴史と文化の再認識、再構築が求められていると考えられるからである。その中で精神疾患者がどう扱われてきたのか、どのような社会的役割を担ってきたのかが問われているからである。
最後に、私宅監置制度について、精神科医であった呉秀三の言葉を引用したい。
「わが国十何万の精神病者は、この病を受けたる不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」、つまり「日本の精神障害者は辛い病気にかかった不幸の上に、精神障害者を冷遇虐待する日本という国に生まれた不幸までも負わされている」。
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