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音楽と言葉

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クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
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#カルテット

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

愛を込めて室内楽を〜カルテット留学のその先〜

10月1日。成田からアムステルダム経由でプラハへ。 空港にも機内にも人はまばら。皆マスクで顔を包み、心なしか表情は暗い。 異様なタイミングでの留学が始まった。 Hector Quartet私達エクトルカルテットは、この10月よりプラハ芸術アカデミーに入学。師事するのはパノハ弦楽四重奏団。私の中の彼らの思い出はここにある。雑誌サラサーテで留学体験記『ないしょの手紙』を連載するが漏れてしまう細かい雑記をここに残そうと思う。 プラハ、現在コロナ禍の中での留学には常に困難が付いて

命日、スメタナを想う 2

前回に引き続き、スメタナの人生に思いを馳せたい。 今回の鍵となるのは弦楽四重奏曲第2番ニ短調、最晩年の作品である。 私はこの題材を心に留めた時、とてもしっくりと来た事がある。昨今のコロナ騒動で疲弊している今、スメタナの音楽が私をはっとさせたのだ。 今回はその事について、大切に書いていきたい。 ・・・ 命が尽きるまで、彼を突き動かしたもの 弦楽四重奏曲第二番を書き上げたのは、1882年から1883年の間。すでに聴力は完全に失われ、医師からは作曲を辞めるように言われて

命日、スメタナを想う

5月12日。1884年のこの日にスメタナは60年の音楽家人生を終えた。 136年前の出来事だ。ふとそれを思い出したので、スメタナの室内楽について書きたいと思う。 ベドルジハ・スメタナはチェコを代表する作曲家で、指揮者でありピアニストだった。今でこそ作曲家として名高いが、彼のキャリアのスタートは天才ピアニストからだった事はあまり広く知られていない。 スメタナが生きた時代、チェコは独立への切望の中にいた。長くオーストラリアの支配下にあった反動から、国民は祖国への愛を強く持つよう

自分にとっての室内楽

初めに書く文章として、自分が何で出来ているのかを書くのが良いような気がした。日本にいる残り数ヶ月、自分を見つめ直す良い機会として。 そして同じように日本でクラシック音楽を学び留学を考えている人や、心の底から室内楽を愛している人の目に留まればと思う。 私は9歳でチェロを始めた。 学校にある弦楽合奏の部活に入って何とは無しにチェロを選んだ。ソロを学ぶのではなく、みんなで音楽するための道具がチェロだった。始めて数ヶ月で音楽の道に進む事を決めたが、これだけでも、私を構成するものが相