マガジンのカバー画像

音楽と言葉

43
クラシックの音楽家たちによるエッセイ集。#音楽と言葉 ライター: 齋藤友亨(トランペット奏者) 副田真之介(オーボエ奏者) 馬場武蔵(指揮者) 出口大地(指揮者) 山口奏(チェロ…
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

クラシックの音楽家によるエッセイをまとめた共同マガジン「音楽と言葉」

身近にクラシック音楽を生業にしている人はそういないだろう。 ・食べていけるとは思えない ・なぜなろうと思ったのか ・どんな人たちが「クラシックで食っていこう」などと思うのか 全てが理解不能だし想像もつかないだろう。アンケートサイトで職業の選択をするときはほぼ「その他」になるし、ひどいときは「その他・無職」と一括りにされる。一度だけ「アーティスト」という欄があるのを見たが随分感動したものだ。 音楽を職業にする人たち音楽を職業にする人たちは変わった人が多い。「音楽で食べ

バレエと日本舞踊と即興でつくる舞台「金閣寺」の解説

金閣寺日々の忙しさにおおわれた心にふと晴れ間がさしたとき、子どもの頃にもっていたあの気持ちを思いだすことがある。それは、一枚の紙にただ耽るように描いた線、ことばにならない他愛もない思いつき・・・。  はっきりとは思い出せないけれど、そんなものがあったという感触だけはかすかに感じられる。あれから今日へと、そこには同じ時が流れているはずだが・・・、そう思った瞬間にその感触は手のひらからすり落ちる砂のように消えて幻になる。  金閣寺―活けられる花ー。  それは一つの苦悩する魂のト

新作舞台「金閣寺」リハーサルを終えて

5/6に逗子で バレエ×日本舞踊×即興室内楽で 「金閣寺」の舞台をやるために 長崎、鳥取から逗子まで来てもらいリハーサルをしていました。 金閣寺放火事件の犯人の心理を通して 「その人を生きる」がどういうことなのかを相反する身体操作であるバレエと日本舞踊で表現します。 放火犯は 「こういうものが美しい、これが正しい道、こうあるべき」という 世間や他人が創り出した虚構の価値観に縛られ、 その中で自分が優れた人間になりたいと願うものの、決してそれが叶わないことに絶望している とい

バレエと日本舞踊と即興で舞台をつくること、現代芸術の空白

19歳の頃にベルリンに留学した時以来の友人である、ギタリスト作曲家の山下光鶴とともに、一から舞台作品を創作しそれを逗子で上演します。 彼は最も尊敬する同世代の音楽家で、ギターの超人的なテクニックはもちろんのこと 熟達した芸術的価値観、想像性を持っています。 今回は金閣寺放火事件を元に、完全にオリジナルの新たな作品をつくります。 ドイツに留学していた頃 「自分が東洋人として西洋音楽を学び、生業にする」ということに関してどこか疑問持つようになったことがあり 光鶴と議論を交わし

【逗子でバレエ】バレエの作品を一から作ること

【逗子で本物のバレエを】 みなさんは生でプロが踊るバレエを観たことがありますか? 日本は世界で1番バレエ教室の数が多いと言われていますが、実際にプロの舞台を観る機会は多くありません。 バレエを習っていなかったらまず観に行くこともないでしょう。 バレエはクラシック音楽やオペラと同様に、とても敷居が高いイメージがあり チケットも高価なので興味はあってもなかなか足を運びづらいところがあります。 しかしバレエは「経済力のある大人が楽しむもの」であるべきではありません。もっと子どもた

即興することと音楽 山下光鶴に学ぶ

先日、ベルリンにいた頃20歳からの友人であるギタリストで作曲家の山下光鶴が長崎から鹿島に来てくれ、3泊4日を共に過ごした。 彼は本当に素晴らしいアーティストで、初めて出会った頃から既に成熟した考えを持っており最も尊敬する同世代の音楽家の1人だ。 ベルリンに住んでいた頃、sophie charlotte platzというU2沿いのところに住んでいて、彼も最寄りが同じだった。 当日19,20歳でドイツに来ていた同世代はほぼいなかったのもあり、よく一緒にコンサートを聴きにいったり

日本人の子どもにクラシック音楽を学ばせると良いこと

ドイツやロシアにいた頃良く思ったのは なぜ西洋の伝統音楽をアジア人の自分達がある意味当然のように小学校で学んだり、多くの人がピアノを習ったりするんだろう ということだった。 日本の伝統芸術で外国で当然のように教育されるようなものはないし、なんなんだろう。 ドイツで聞かれた 「なんでトランペットは吹けるのに日本の楽器は一個もできないの?」ということ 確かにそもそも日本人なのになぜ西洋の伝統的な音楽をありがたがって自分の国の文化を蔑ろにしているのだろうと思った 学校でリコー

ベルリンで聴いたラドゥ・ルプーのベートーヴェン

ラドゥ・ルプーが亡くなったそうだ。彼は1番好きなピアニストだった。 ベルリンに住んでいた頃、毎週のように指揮者やピアニストの巨匠がきていた。最初は正直全員良いとしか聴こえなかったが、不思議なことに同じ場所で同じオーケストラで聴いていると違いがわかるようになっていった。 ソコロフ、アルゲリッヒ、バレンボイム、シフ、ツィマーマン、ユジャワン、内田光子など巨匠達を聴いた中で、最も印象に残ったのがルプーだった。 ベルリンフィルには必ず立ち見で聴きに行っていたから、特に前情報は調べな

写真を撮ることと美意識

最近カメラを買った。 FUJIFILMのX-H1というモデルで、好きな写真家の保井崇志さん(https://note.com/tuck4)が以前使っていたらしい。こんなに良いカメラを手にするのは初めてで、初めてプロモデルのトランペットを買ってもらった時のような高揚感。 FUJIFILMの記憶色とも呼ばれるようななんとも言えない色が好きでカメラを買うならこれにしようと思っていた。写真は子どものころから好きで、ドイツでもロシアでもたくさんの写真を撮った。 それもnoteの記事

初めての日本のプロオーケストラでの客演

先日初めて東京フィルハーモニーさんに客演する機会をいただいた。初めての日本のプロオーケストラ。 お話をくださったのは東京フィル首席の野田さんで、神代門下の昔からとてもお世話になっている憧れの先輩。一瞬動悸がするような緊張をすると同時にとても光栄な気持ちだった。 野田さんは湘南ユースオーケストラの先輩でもあり、トランペットをはじめた小学6年生の頃からずっとお世話になっている。 初めて野田さんとお会いした12歳の頃のことはよく覚えていて 楽器を初めてまだ数ヶ月でユースに体験入団

現代音楽の演奏会 Cabinet of Curiosities

今日は現代音楽の演奏会。 青山一丁目を降りて気がついたが、ここでB2を受けたのだった。薄紫色に染まるビルの前に映る鏡面のビルを眺めながら歩いていると、あれが何年前だったのかもすぐには思い出せず不思議な感覚になった。ゲーテに聴きにいくとわかっていたのにゲーテに行ったことを駅を出るまで思い出さなかったのだ。 こうやって色んな記憶はどんどん風化していくのだろう。逆に大事なことだけを覚えていられるようにできてるとも言える。 人工的だがどこか品のある街並み、港区赤坂という青い住居表示の

モミジの赤と聴いてもらう喜び

鎌倉のモミジがいつの間にか真っ赤になっていた。毎日見ているはずなのにそれに意識が向いていなかったのだと気がつくと、今はそれを楽しむほどの余裕があるのだと安心する。 Ensemble Lenzコンサートに向けて5日間東京に通って缶詰になってリハーサルを重ねていたところから、一昨日ついにハリス記念鎌倉幼稚園で団体として初のコンサートをすることができてひと段落ついた。 7月に顔合わせをしてから長期にわたってずっと準備してきたコンサート、こんなに長く練習しているのに披露する機会がなか

クラシック音楽を日本が保護するのか

今回の自主公演はありがたいことに文化庁の支援で成り立っている。難解な書類の数々で少し不備があったら採択されないという話だったが幸運なことに支援してもらえることになった。 演奏会を開催するにあたっての経費をほぼ全額補助してもらえるという大変ありがたいシステムで、コロナで客席数を減らしてもなんとかコンサートを開催することができる。 音楽家の自主企画は9割が赤字で、黒字になっていたとしてもリハーサルにかかる時間やその他事務作業の時間まで考えたら100%赤字になる。 スポンサーを

みんなで一つの演奏会をつくること

ロシアから結婚式のために帰ってきてからロシアに戻れなくなってもう1年半近く経ってしまった。 日本で季節を一周するということ自体があまりに久しぶりで、去年は嬉しかった紅葉を見るとなんだか焦りと虚しさも込み上げてくる。 日本に帰ってきてコロナで演奏活動はほぼ制限されてきたというところが大きい。 ロシアにいた頃は毎日のように公演があってトランペットを休みたいと思うほど毎日レパートリーの勉強に追われて過ごしていた。しかしこの一年はそれが全くなかった。家業である不動産と建築の建築もやり