クラシック音楽を日本が保護するのか
今回の自主公演はありがたいことに文化庁の支援で成り立っている。難解な書類の数々で少し不備があったら採択されないという話だったが幸運なことに支援してもらえることになった。
演奏会を開催するにあたっての経費をほぼ全額補助してもらえるという大変ありがたいシステムで、コロナで客席数を減らしてもなんとかコンサートを開催することができる。
音楽家の自主企画は9割が赤字で、黒字になっていたとしてもリハーサルにかかる時間やその他事務作業の時間まで考えたら100%赤字になる。
スポンサーを得て公演をできる団体はほぼなく、ほぼチケットからの収益と楽器店などからの協賛金しか収入源はない。
とはいえ、クラシックのコンサートは相場として2000〜5000円くらいで50〜100人のキャパシティでやることが多いから全く成り立たないわけだ。
それを
「ヨーロッパのように国が補助するべきだ、日本は文化芸術に理解がない」というようなことをいう音楽家がたくさんいるが、それはあまりに傲慢なことだ。
ドイツがドイツの伝統的な音楽を保護するのはそれが伝統で残していくべきものだからであると同時に、一つの産業としてドイツで経済効果を生んでいる。そして心からみんなが必要としている。
街からオーケストラがなくなるのは困ることなのだ。クリスマスにミサを弾く人がいない、イースターにも音楽がないというわけにはいかない。
ドイツで生活に密着しているキリスト教はクラシック音楽とセットで、全ての宗教行事には音楽が必要なのだ。
そう言った意味でも小さな街にも音楽家は必要で、それを育成する人も必要。
単なる娯楽以外での需要がたしかにある。
ただ日本において西洋のクラシック音楽は、国が税金を注ぎ込んで保護すべきものとまでは言い難い。あくまで他国の文化なわけであり、興業として成り立たせる必要がある。
日本では残念ながらクラシック音楽を必要としている場と人々はヨーロッパと比べたら当然少ないわけであるから、それを成り立たせたいならばより多くの人々に必要としてもらえる努力をするしかないのではないか
人が聴きにこないようなものだけを、人に本当に理解してもらおうとする努力を怠っておきながら
「自分はアーティストだから税金で飯をくわせろ」と言ったところで政治家どころか人々も相手にしてくれないだろう。
自分の国の文化ではないということを理解したうえで、布教活動のように良さを少しずつ伝える努力をしなければならない。自分はそうしよう
歌舞伎をドイツにもっていって多少人気が出ていたとして、それをドイツが支援するだろうか。そしてそのドイツ人歌舞伎俳優たちは「自分たちはアーティストなんだから国が支援しろ!」というだろうか。
結局は「他国の文化を好きでやりたくてやってる人たち」になってしまうのだから、国や環境のせいにせずにもっと多くの人々に興味を持ってもらってちゃんと成り立つように音楽家それぞれががんばらないといけない
もちろんドイツもロシアも音楽やバレエに対しては大きな敬意を感じるが、それは自国の文化であるからだと強く思う。
人のせいにしたり文句を言わないで経済的に成り立たせられるように努力しよう