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2年目に突入した5年手帳で昨年書いた言葉をきっかけに感じたことを書いてみることにした。
私は長年「ほぼ日」ユーザーで、昨年初めてほぼ日の「5年手帳」に手を出した。
昨年は下の子が小学校に上がる年で、5年後は上の子が成人(18歳)になる。
始めるにはいいタイミング!と感じて始めた。
そして2024年1月13日に書かれていた言葉。
『心配より信頼』
昨年は朝起きてこない不登校息子への不安、この状況で進学する気があるのだろうか、などという漠然とした私自身の不安が大きかったんだな、と思った。
2025年1月13日にこの言葉を見て私がどう感じたか。
みんな大丈夫。
なぜそう思えるようになったのか、分析してみようと思う。
【「あなたのことが心配で言ってるんだよ」という呪縛】
息子が幼い頃からよく言っていた言葉。
そして私も幼い頃から周りの人たちから「アドバイス」という名のこの言葉をかけられていた。
いつの間にか私の中で「私のことを思って言ってくれてるのだから、ありがたい」という思考になっていたような気がする。
この言葉を使う目的って・・・
息子や娘のことが心配だから言う。
この目的ってなんだろう。
私にとっては「私が思う道を子どもたちにもたどって欲しい」「その通りに進ませたい」「私が思う道への軌道修正」
例えば、朝起きられずにフリースクールへ遅刻していく息子に対しての思いは
「みんながやってるように普通に朝起きて学校に行ってほしい」
「将来、朝起きられなければ社会人になった時に仕事もままならない。朝はちゃんと起きるべき。」
こんな私の思いが入っている。そして息子をコントロールしようとしている。
書いていて恐ろしくなる私の思考。
【対話を心がける】
息子が考えていることと、私が考えていることは別物として対話することを心がけていた。
例えば、朝起きられず、フリースクールに行ったり行かなかったりに対してどう考えているのかをお互いに話をしてみた。
息子
・朝起きたいとは思ってる。ネッ友と話して夜更かししてしまうこともある。
・フリースクールに行ける時は行く。行けない時は行けない。
・あまりうるさく言われると嫌な気持ちになる。
私
・朝は起きて欲しい。
・フリースクールはたくさん行ってほしい(月々の支払いも気になるところ←ここは正直に伝えた)。
もっと話したと思うが、今となっては思い出せない。
時間をかけて2人の言い分をまとめ、お互いの着地点を探した。
対話を通しての着地点
息子
・夜更かししすぎないようにする。
・フリースクールに毎日行くのはきついから、2日か3日行ける時に行く。
私
・朝は息子から頼まれない限り起こさない。
・フリースクールに行かなくても、お小言を言わないと決める。(自分のモヤモヤは自分で解決する方法を使う)
そのほかにも勉強のことや日頃の生活、ゲームやPCへの考え方についても対話したし、娘とも学校での生活のことやお金の使い方、習い事について対話を繰り返している。
対話の時にどちらかの声(意見)が大きくなりすぎないように気をつけるようにしている。
どうしても大人の方が、人生経験があるので大人の意図に沿うようになってしまいがち。
そこはフェアではないので、対話の後も大丈夫だったか私自身振り返るようにしている。
「あなたは大丈夫。不安なときは相談に乗るよ」
この1年で子どもたちにも夫にも私はこう言えるようになってきた。
そして自分に対しても言えるようになってきた。
子ども、家族によって私自身が大きく成長させてもらっていることに気づけた「5年手帳」。
子どもたちの成長を感じるために使い始めた「5年手帳」は私の「成長記録」にもなっている。
みんな大丈夫。
小さな一歩でも着実に前に進んでるよ。