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敢えて、自由を選ぶ子どもたち
今、私は国際バカロレアの認定校であるサニーサイドインターナショナルスクールで小学5/6年生の担任をしており、概念型探究をどのように実践しているのかをまとめていけたらと思います。まだまだIB教員2年目の実践ログなので、どのような場面に難しさを感じながら概念型探究の授業にトライしているのかについてまとめていけたらと思います。
前回のnoteでは、「敢えて自由を選ば(べ)ない子どもたち」というテーマで私なりの考察を書いてみました。
今回のnoteのテーマも引き続き「自由」になります。
授業の設計者目線でも、子どもたちに自由に探究する時間を確保したいと思っても授業時数の関係でその時間が確保できない現場の先生は多くいると思います。また、自由研究といっても、そもそも子どもたちは「何を、どのように探究したいか分からない。」という声もよく起こりうるので、子どもたちが自分で気になる探究テーマを0→1で見つけ、探究の流れを決める学習を授業で実践することってなかなか難しいのではないかと思います。
そこで、提案したいのが普段の授業と長期休みの自由研究を融合した探究モデルになります。
以下の図が概念型探究のフェーズを図にしたものになります。この図は概念型探究の実践(リンク)の本を参考に作成しています。概念型探究は、導入する→方向を定める→調べる→整理する→一般化する→転移するを行き来しながら学習が進んでいきます。その中の概念型学習の肝になるは、導入する→方向を定める(事例が2つ以上)→一般化する→転移するという流れになり、ここに探究的な要素を入れると、調べる→整理するのフェーズに子どもが自分で探究したいテーマを選べることで探究的な要素が入ってくる考え方だと私なりに解釈しています。
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以下のnoteで自由研究を、概念型探究のフェーズに当てはめた実践についてまとめています。
さて、今回の冬休みの課題を考える中で、子どもたちが今行っている学習を広げたり、深めたりできる課題を考えていました。今、子どもたちは地質の探究を行っており、身近にある川(中流)の石の大きさのデータを校外学習で集め、集めたデータを度数分布表にし、代表値を求め、自分なりに石の大きさの特徴(傾向)を解釈する学習をMathとの融合で行ってきました。
そこで冬休みには、中流に引き続き、実際に自分たちで集めた上流のデータを分析する課題を出すことを考えていました。一方で、せっかくの冬休みでもあるので、授業で身につけた知識とスキルを活用して、自分でテーマを見つけて探究をすることで、代表値やデータを分析するプロセスについてもう一歩理解を深められる学習についても考えていました。そこで子どもたちには、選べるように2つの課題を提示することにしました。
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冬休みの課題を説明する時間に上の2つの課題を提示しました。1つは、テーマが決まっている授業の延長線上にある構成された探究の一部になります。もう1つは所謂自由研究に近いカタチで、自分でテーマを見つけ、データを収集し、分析する課題を提示しました。このどちらかを選ぶように伝えたところ、ほとんどの子どもたちが自分でテーマを見つける課題を選んでいました。
「自由にテーマを設定する」課題は、楽しそうな一方で、実はとても難しいです。このnoteを読んでいる方の中には、夏休みの自由研究に苦戦した思い出がある人も多くいるのではないでしょうか?私たちは、テーマや答えが既に決まっている学習を進めることには慣れていても、身近なところからテーマを設定し、自分で決めた探究の流れに沿って、データを収集・整理し、発見したことを言語化する学習というものを重ねてきた経験が少ないことが、自由はかえって不自由に感じると思います。
私たちの学校(IB校)では、概念型探究の枠組みを取り入れており、子どもたちは日常の学習の中で、概念型学習と探究型学習を行き来した学習を行っています。
今回、自由研究とある程度テーマが決まった学習の両方を提示した時に、敢えて自由にテーマを設定できる学習を選ぶ子どもたちがクラスの9割以上を占めしたことは、これまでの学習で積み上げてきた学びに向かう姿勢が垣間見れたような気がしました。
最後に、なぜ私が「敢えて自由を選ぶ子どもたち」と「敢えて自由を選ば(べ)ない子どもたち」というテーマでnoteを書いた背景には、フィンランドでの経験がありました。私は、世界幸福度調査の中で面白い見方があります。「人生における選択の自由度」という指標になります。
フィンランドの教育システムは、「いつでも、何にでもなれる」選択肢が常にありますが、周りにロールモデルがいない状況の中で、自分の人生を意思決定し、行動し続ける力が必要になるともいえます。私たちが住んでいる日本でも、近い将来同じような状況になるのではないかなと考えています。私たち日本人にとっては、現役合格や新卒採用に価値を感じる社会において、自分の進路やキャリアを自分のタイミングではなく、周囲のタイミングで一歩前に進めることって、自由度はないようで楽に感じる人もいるのではないでしょうか?逆にこれがプレッシャーに感じている人も一定数いると思います。
もちろん、自由を敢えて選ばない生き方もあっていいと思います。あるいは、敢えて自由を選ぶ生き方もあっていいと思います。しかし、自由を選べないという状況は、人生におけるコントローラーを握れている感覚がもてず、どこか苦しくなるのではないかなと考えています。
自由を敢えて選ばないと自由を選べない状況は、言葉は似ているようで、本人の感覚からすると、全く異なるのかなと思います。子どもたちに自由を与えたときに、子どもたちが自由に対してどのように向き合うのかについて、身近にいる大人として、子どもたちが自分の人生を自分で選択できる力を育むサポートができたらと思いました。
いつも読んでいただきありがとうございます。
moimoi!