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山口百恵はもう現れないのかな
かなり前に山口百恵が菩薩だとかいう本が話題になったことがあったと思って調べたら、そのままのタイトル「山口百恵は菩薩である」(平岡正明著)が1983年に出ていて、さらに2015年には加筆された「完全版」なる単行本が講談社から4400円で出ていた。
先週末NHKで放送した「伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”」を見てしまった。
40年前のコンサートをそのまま編集せず約2時間半。
観終わった直後の僕は、「う~ん」と唸るしかなく、しばらく興奮が醒めなかった。
見てしまった、という感じだ。
冷静になって、
浅田真央のソチ五輪の感動に似ているような気がした。
パフォーマンスは、体全体、顔から指先にまで意識が通っている完璧さを伝えている点で共通する。
でも、アスリートの努力の証という感じとは異質の完璧さ。
存在自体に隙がない。
ラストコンサートの山口百恵はそうだった。
中盤以降、クローズアップで映しだされた顔に少しの汗を見つけた。
どうにもコントロールできない鼻の下や頬に光るものを見て、見てはいけないものを見てしまったような気分にさえなった。
菩薩論は知らないけど、神々しいっていう言葉さえ使いたくなる。
この時21歳と知ってまたびっくり。
気軽に「〇〇が好きだ」と言えた時代があった。
でも最近は、蛸壺化が趣味や娯楽の領域でも進んでいて窮屈。
「大衆」は死語?
山口百恵が現れるはずもなさそうだ。
少し興奮しすぎた。