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「冷血」
ノンフィクションを読むようになったきっかけが沢木耕太郎だったこともあって、ずっと読まなきゃと思いつつ読まないままの本のひとつが、トールマン・カポーティ―の「冷血」。
小説を読んでいるようなノンフィクション、対象に寄り添うような取材方法、日本のニュージャーナリズムの旗手とも言われた沢木が好きなら、カポーティ―も読むべきだと思っていたのだけど。
本が先と思っていたのに、Amazonプライムで見つけて映画のほう、リチャード・ブルックス監督の「冷血」(1967年)を見てしまった。続けてネット・ミラー監督の「カポーティ」(2005年)も見てしまった。
カンザス州の農場主一家を殺害して逃亡する二人の男。彼らは拘留ののちに絞死刑となる。
全編を通じてつきまとうのは「理不尽」。
模範的な家族、真面目で誠実な主と妻と子供二人はなぜ残忍な手口で二人の男に殺されなければならなかったのだろうか。
男たちはなぜ殺人者になってしまったのか。
一家から殺人者が盗んだ金はわずか数十ドルだった。
拘留から死刑の場面までは、モノクロ画面が、胸の詰まる重苦しさを助長させる。
たとえば男のアップ。窓に流れる雨が作った反射が男の頬を流れるシーンなど象徴的だ。
カポーティ―は、拘留中の二人への面談を重ね取材を続け、男たちも彼に心を開く。
不遇な生い立ちという点の共通項も、取材者と犯罪者という関係以上のものをもたらす。
カポーティ―は一方で、死刑が執行されないとこのノンフィクションが作品として完成しないことにも苛立っていく。
まだ原作を読んでいないのに書いてしまった。
読んだらまた書こうと思う。
「冷血」は、しばらく引きづりそうな映画だった。
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