アントニオ猪木が亡くなった日に巌流島へ行ってた。
高校生のとき「宮本武蔵」(吉川英治)を読んでもさして面白いと思えず、「青春の門」(五木寛之)で大学生に憧れ、早稲田大学ではない某大学に入ったら「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)に感化されて夢を膨らませた。
幕末志士の墓を訪ねて友人と京都へ出かけた20歳の熱は10年も持たず、壮年期も後半になって再びインスパイヤされた「幕末」はもう英雄物語ではなかった。
ということで先日は「長州」へ。行ったことがなかった関門海峡も楽しみにしていた。
巌流島にも上陸してきた。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の地に引き寄せられたのは、古くは坂本龍馬、吉田松陰。
昭和の後半にはアントニオ猪木とマサ斎藤の決闘の地となった。
海峡で感じる歴史の空気はやはり特別。
アジアと日本を結ぶ航路、大動脈は瀬戸内海でその出入り口が関門海峡だ。
攘夷運動が盛んだった頃、外洋から来た外国船が、左右の山からの砲撃に備えながら慎重に東へ進んだことを、現地で想像出来た。
海峡ゆめタワー28階の展望室に、坂本龍馬による手書きの「下関海戦図」の複製が展示されていた。(下)
幕府軍の敗北で終わった1866年の幕長戦争のときの関門海峡周辺のようすが描かれている。イギリスから購入した軍艦ユニオン号に乗船して長州軍の指揮官として参戦した坂本龍馬が、その戦争体験を振り返って書かれたもの。
お世辞にも達筆とは言えないけど、現代文しか読めない僕でも読み取れる部分があって興味深い。
10数年前、トルコ・イスタンブールのボスポラス海峡に立ち、アジアとヨーロッパの分岐を目の前にした。古今東西、地勢の利を活かせるかどうかが将来を左右するんだと、その時思った。
ところで、僕が巌流島に行ったのは10月1日。奇しくもその日、アントニオ猪木が亡くなった。