木皿泉の「さざなみのよる」
14の短編となって描かれた主人公は、40代で亡くなってしまう破天荒で明るい女性ナスミ。でもストーリーのほとんどがナスミが亡くなった後の、彼女の家族や友人たちと彼女に関わる物語。
そう、こういう風にして、亡くなった人は生き続けている人の心に生きる。
”思い出”とは違う。
年を重ねて、死について考えることが多くなった。
近しい人の死に出会うことが増えたこともあるだろう。
読書的には、数年前の「ぼくがいま、死について思うこと」(椎名誠著)も契機だったかな。
もちろん物理的な死についてというより死生観的なことだ。
いかに死ぬかはいかに生きるかと同じ。
去年「DEATH 死とは何か」(シェリー・ケーガン)が話題になったから読んだけど、正直言ってつまらなかったし、賛辞のレビューをまったく理解できなかった。
僕には、夫婦脚本家の書いた小説のほうがずっと哲学的示唆に富んでいると思う。
久しぶりに泣きながらページを捲った。
悲しいではなく、心を熱くして頷きながら読み終えた。