本当に感動があふれると、人は話せなくなる #子どもに教えられたこと
今回は、かなり前のことなのですが、ふと書き留めておきたくなった出来事について残しておきます。
それは、末っ子の卒園式でした。
この幼稚園は、引っ越して来たときから、つまり、長男が年中として編入したときからずっと通っています。
真ん中の長女は、長男と2つ違い。長男が年長のときに長女は年少。一緒のバスに乗っていました。それまで、長男がバスに乗って行って帰ってくるのを見ていた長女はうれしそうでした。
長女と一番下の娘は、学年としては3つ離れているため、本来は同じバスに乗っていくタイミングはないのですが、「プレ」として年少の一つ前から通っていた末っ子は、一時期長女と一緒にバスに乗っていました。
幼稚園生活を語る上で、バスは欠かせません。
子どもが自宅にいない時間が初めてできた幼稚園。しかし、何かをするにはその時間はあっという間です。
朝はバタバタと送り出し、帰ってくる時間に間に合うように急いで用事を済ませる。または、アラームをかけて昼寝していて、慌てて飛び出したこと。
間に合わずに子どもたちを乗せたまま、バスは幼稚園まで戻ってしまい、幼稚園まで迎えに行ったこともありました。バス停に親がいないことを見て、どんな気持ちでもう一度バスに乗り込み、幼稚園で待っていたのかと思うと、いたたまれない気持ちになりました。
また、末っ子が生まれた年は、わたしが個人事業主として独立した年でもありました。幼稚園のイベントには毎回のように出席できるようになりました。子どもたち一人ひとりは数年ずつでも、先生たちと一緒に結構な年数を過ごしていました。仕事関係や金策の連絡を幼稚園で受けていたこともあります。
特にお金の面で不安なこと、綱渡りだったこと。家に入れられるお金が数万円しかなかった月など、仕事でやきもきしていた時期とも重なるあのときは、今思い出しても色々な感情が渦巻いています。
*もちろん、これはシンプルにちゃんと独立する時期を考えて、準備を十分にできてなかったわたしの未熟さなので、シンプルに力不足でした。
そして、いよいよ一番下の娘も卒園式を迎えます。
今までは、それほど思うところはありませんでした。また一人、小学生になる。通う場所が幼稚園から小学校に変わるだけ。でも、そうではなかったのです。
あまり寂しさを感じなかったのは、また来年もこの幼稚園に通う子どもがいるからでした。
末っ子が卒業したら、もう次に通う子はいません。ようやく、先生方と同じ目線になりました。のべ9年間にも渡り、子どもたちはあの体操服を着て、あの小さな紺色のリュックを背中に背負って通園していたのはこれで終わりなのです。
当然、それは、子どもたちの成長であり、次のステージに行くこと。喜ばしいことです。出会いがあれば別れもある当然のことなのですが、卒園式の終わり、園長先生に挨拶しに行った際に、わたしは話すことができませんでした。
後にも先にも、話すことができなかったのはあのときだけだと思います。わたしは、基本的に「準備の人」です。仕事のMTGから、自身が10分以上話すプレゼンはもちろん、ちょっとした人との会話も、メモを用意したり、何回かシミュレーションをしています。
園長先生に最後の挨拶として声をかけるときも、メチャメチャ仕込んでいたわけではありませんが、それなりに会話というか、トピックを準備して行きました。行きましたが、何も話せませんでした。「9年間に渡り、3人ともありがとうございました」が精一杯で、その後に言葉をつなぐことは叶わずに深くお辞儀をしてその場を去ることしかできなかったのです。
本当に感動があふれると、人は話せなくなる。子どもたちが教えてくれたことでした。