そろそろ、「取り戻す」のは手放してもいいのかもしれない。今だからこそ味わえるもの
今回は、ふと出逢ったnoteにインスピレーションを受け、最近のモヤモヤ、というよりは、溶けだしていった想いについてまとめたいと思います!
▽『ニュー・シネマ・パラダイス』について書かれた、涼原永美さんのnote
涼原さんのnoteでは、大人になったからこそわかる『郷愁』について書かれています。素敵なnoteをありがとうございました!
「憧れ」を”取り戻す”ために追いかける旅
高校時代の話のときに少し触れた、マンガを読んでは泣いてたという話。
このときのわたしの気持ちは「自分は何をやっていたのだろう?」でした。
本当に好きな人に告白できなかったこと、やりたいことを思いっきりできなかったこと。そして、小学生や中学生時代も含めたそれらの”暗黒時代”を「取り戻す」ために、大学生活を充実させようとガンバったり、社会人になってからもそうしたものに憧れていました。
また、適応障害となって休職した際にも、好きなことが前向きに取り組めなくなり、感情を「取り戻す」、自分を「取り戻す」時期だったと思っていました。
ただ、ふと思ったのです。
「負けイン(負けヒロインが多すぎる!)」の世界のように文学部に入る人生も面白かったかもしれない。今、注力しているアート分野で、「美術部に入ったり、芸大を目指す人生はどうだったのかな?」とか。
そして、スグに気がつきました。多分そうすると、スポ根運動部のアニメやマンガにハマったり、「アスリートになる道もあったのかな?」と思ったりするのではないかと。
そう、どちらに目を向けるかだけの話です。
お金が「ない」ほうに目を向ければ、いつまで経っても終わりがありません。「足りる」状態はまず来ないでしょう。
もちろん、使えるお金の絶対額が低かったら、やっぱり「ない」ほうが気になるというのは、何回も借金で苦しんでいるわたしとしては、よくわかります。
「ある」ほうや、買えたほうのものに目を向け続けば幸せ、という単純な話ではありません。欲しいもののために頑張るチカラが生まれることもあるでしょう。
でも、あることも、足りないことも、もっと欲しいものも、特にいいことでも、悪いことでもないんだと思います。そう、いわゆる「ジャッジ」から脱するということですね。
自分を「ゆるす」ことができた、のかも
思えば、わたしは、自分の存在を確保することに一生懸命でした。
成果を出さなければ居場所がない、攻撃される。その想いが今もどこかにあるのでしょう。
休職したときに、「何も生みだしていない自分でもいいんだ」とわかったはずでした。でも、それは、まだ自分の機嫌を自分で取りに行っていたのではなく、「相手から攻められていない」という相手軸でしかありませんでした。
もちろん、このときに支えてくれた方たちや家族には感謝しかありません。もし、このときに、わたしが責められたら、恐らく何倍にも自分を苦しめていたと思います。
・相手の機嫌は相手のもの。
・自分の機嫌は自分で取る。
もちろん、人と話すことは大事。でも、相手の態度次第でこちらの機嫌が左右されるのは、なんかもったいないのかもしれない。
他人や物事を「コントロール」しようとしたり、間接的な「攻撃」をするのも、自分の優位性を確保したいから。もちろん、何もしなくても誰かが守ってくれるわけではないでしょう。でも、攻撃してくる人ばかりでもありません。
そう、成果じゃない。自分の考え方や実感を大切に。自分が納得するラインであがいて、あがき続いて、少しずつ前進している自分が好きだと言える。
noteで広がっていく世界。自分の好きなことを伸ばし、思考をまとめる頻度が上がり、「人生を謳歌している」と実感していることが何よりも大切。
今だからこそ、アートを感じられるようになった。
今だからこそ、スキに特化して、スキを伸ばして、スキを融合させることを、このレベルで出来るようになった。
取り戻しているんじゃない。「過去イチ充実してる」とかそういう過去との比較でもなく、ようやく自分の人生や存在と気負わずに、気張らずに、自然体で向き合うことができたんだと思います。
それが、遅いか早いか、あるいは、この先は色々衰えていくのかもしれません。だとしても、先を見ながら、余裕を失わないように努めて、それでもすぐ取り乱しながらも、今できることをやってる自分の機嫌を取ってあげたいと思います。
すみません、自分でも泣きながら書いてて、とりとめもないカンジになってしまいました。ただ、この心の叫びが伝わってくれればうれしいです。
今回のTOP画像は、TOMOさんのものを使わせていただきました!
いつものイラストの他に、こうしたテイストのものも、みんフォトギャラリーに出されているんですね!