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【viva不登校】「囚われの自分」を解放して抱きしめてあげようぜって話
子供が突然、学校に行かなくなった日、程なくして別室登校(週1,2回)を始めた日々、それは今も鮮明に覚えている。今まで日常と思っていた風景が日を追うごとに崩れていく感覚。
リビングの窓から外を見れば、学校へと急ぐ子供たちの列、かたや目の前にはリビングのテーブルに座り、朝食を取る息子。週に1,2回ある別室登校も午前中の2時間ほど、送り迎えは親が必ずしなければいけない。ダブルワーク(私は経営者、妻は会社員)の中、妻と綿密なスケジューリングを行う日々。そんな中でいつしか何かに囚われていく感覚。空は晴れていても毎日、曇天のような感覚があった。
その曇天の正体、それは自分の中にある2つの「囚われ」だった。
1、再び、息子が学校(教室)にいけたらいいな。
2、目の前の息子のために自分たちの時間をできるだけ捧げていこう。
でもふと気がついた。いや、自分なりにこの子供の教育界隈のことを猛勉強してたどり着いた。
この囚われの中にいても、息子も夫婦も、そして家族にも我々が思い描く幸せはない。
私は普段、コンサルティングの仕事をしている。イノベーションを起こすための1つの鍵、それは「逆に考える」こと。今回もシンプルに逆に捉えるようにした。
1、再び、息子が学校(教室)にいけたらいいな。
→ 息子は寧ろ、学校(教室)に行かなくてよい。
2、目の前の息子のために自分たちの時間をできるだけ捧げていこう。
→ 目の前の息子ではなく、夫婦、自分たちの時間を大切にしよう。
間違って欲しくないのは、ここで言いたいことは「親が自分本位に生きていこう」ということではない。
自らにある囚われに気づき、それを解き放つこと。そうすることで、子供が囚われているものも解き放たれるのではないだろうか。
それから、我々家族の景色は一変した。
この「不登校」という社会が成長するための課題に、唯一無二の方法など存在しない。親と子供が、その時間の中で、つむぎだす一節一節のハーモニーの中から、学びが生まれるものだと思っている。
私たち夫婦は、それ以来、子供のことは子供のこととして、できるだけ、自分たちの人生を生きる、ということに意識を傾けるようにした。親としての自分たちが充足し、日々に感謝し、日々に興奮し、日々に安らぎを感じるように。
そのことがあったかはわからないが、小学校の2年間の不登校期間を経て、息子は中学から自分のペースで学校に行っている。そんな息子ももうすぐ2年に上る。
子供は宇宙だ、恐ろしいスピードで進化している。私は、親として、その宇宙のビッグバンに寄り添い、邪魔をせず、これからも共に楽しんでいく。いつ何があろうと。
今日の空は曇天でも、我々家族にはいつも青空だ。
viva不登校。
※某FMでラジオ番組やっています。
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