「篤志家」について述べたとある方のフェイスブック投稿に対する私のコメントです。

コメント転記

『戦前の師範学校は無償で、地方の裕福でない農家などの次男坊以下で優秀な子が県庁所在地の学校に通って教師として地元に凱旋、体力あるなら職業軍人というコースもありました。それに書生や丁稚奉公は裕福な実業家や商家の衣食住ごと面倒をみる次世代育成という多大な社会貢献の側面があったと思います。

同じものを…とは言わないけど、今また見直してみるべき時期ではないでしょうか。とりわけ(民間の外部資金を全く期待できない)教員養成系国立大学を他の国立大学と同じ法人化〜交付金コンスタント削減のジリ貧に追い込み、しかも事実上ゼロ免課程(教員免許取得を前提としないコース)を許さない国(文科省)の指導は、彼の大学全てを廃校させんばかりの愚策だと思います(独立採算ならサブカル養成へのシフトを認め、そうでないなら旧師範学校制度への回帰が必要…でなければ教員養成系国立大学は生き残れない…生き残るためにまず広域合併→初等中等教育の地産地消が成り立たなくなる)。』

投稿主の文

地域に、出資者の名前公表を厳しく禁じた篤志家が運営する困窮家庭の学童向け無償の私塾があって、やる気漲る先生が揃っていて、夕飯も出し、両親の都合で宿泊も面倒みて、公共心を自然と身につけさせる。そんな、私塾があってもいいほど日本は成熟したはずだ。篤志家とはそう言う人々であって欲しい。

人が生涯に財を成す目的の一角にそびえ立っていて欲しい。


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