じゃない方ゲー人による、平成ゲーム業界回顧録【商用ゲームデビュー編】#01
「はい、それじゃ講評しまーす。
作品、前に並べてください。」
1990年、夏。
僕は東京、立川の某美大予備校の夜間部に通っていた。
去年、受験に失敗して浪人生活を送ることになったが、昼間部に通う学費を親に捻出してもらうことが忍びなく、バイトをしながら、夜だけ通う形で授業を受けていたのだ。
教室の前に集められた作品が、担当講師の手によって評価の高い順に左上から順にテキパキと並べ替えられていく。
自分の作品はいつものように下段の右下の方・・つまり、下から数えた方が早いという位置に並べ替えられていった。
夜間部は本来、現役の学生が学校の授業の後に通うコースで浪人生は昼間部に通うことが多い。
現役生の割合の多いクラスで下位に並べられるというのがどういう状況かはすぐに理解できると思う。
「言いたいことはわかるんだけどね。
ちょっと処理が雑というか、それだったもっとこう・・」
講師の言葉が、虚しく頭の中を通り過ぎていく。
去年から何度も聞いている言葉だ。
そんなことは自分でもよく分かっている。
アイデアをうまく表現できたときは上段に並べられることもある。
でも、1位や2位といったトップ集団に入るようなことはない。
技術的に拙いところがあり、相対的に評価が下がるからだ。
真面目に授業を受けていればそのうち上手くなっていくと思っていたが、
自分にはその才能がなかった。
というよりも、絵の技術を突き詰める作業に興味を見いだせなかったのだ。
周りを見渡せば、延々とポスターカラーを混ぜ合わせてオリジナルの色を作り、嬉々として微妙な違いで塗り分けたり、変わったところでは、課題に関係なく、毎回作品にH・R・ギーガーのような骸骨風モチーフを取り入れる奴がいたりと、ありていにいえば訳の分からない人間ばかりだった。
本当の好き。あるいは好きを超えてそれが日常になっている人に対して、義務としての努力で追いつくのはさすがに分が悪い。
うっすらとそんなことに気づきながらも、どう描くかではなく何を描くかだと思い込んでいた僕は、そうした理屈にすがる気持ちで日々を過ごしていた。
~完~
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