コロナ禍を乗り越え、活動5周年を迎えたボーナスステージ。新しい歩みを象徴する集大成の曲「花一匁」【ずっと真夜中でいいのに。】
今年(2023年)の6月で、作詞作曲ボーカル ACAね による、不要な電化製品の始末にお困りの方必見のバンド(公式から引用)”ずとまよ”こと「ずっと真夜中でいいのに。」は、活動5周年を迎えました。
6月4日には活動5周年を記念した生配信LIVEを行い、その場で9月から開催される全国ツアー「愛のペガサス」も発表されるなど、精力的な活動を続けています。
また、6月7日には2年ぶりのフルアルバム「沈香学」がリリースされたのですが、先の生配信LIVEではアルバムの1曲目として収録されている新曲「花一匁」が初披露されました。
直後に同曲の配信やMVも公開され盛り上がりましたが、LIVEでの演奏前のMCでは、この曲がソロ名義で路上やライブハウスで歌っていたときの曲が元になっていて、歌詞に含まれる”ずっと真夜中でいいのに”のフレーズから現在のバンド名が生まれたということが明かされました。
これまで音源化せず、このタイミングでリリースしたということは何かしら意味があるんだろうと思いますが、歌詞を見てもこれまでのずとまよの曲の集大成となっているような趣があり、当時割り切れなかったような想いが、この5年間の活動を通じて整理され、何か吹っ切れて発表できる気持ちになったのかなと感じました。
という訳で、今回は歌詞考察といった大げさなものではありませんが、過去の曲の歌詞との比較も交えながら、本作「花一匁」を通じて「ずっと真夜中でいいのに。」の魅力を紐解いていきたいと思います。
「今日もひと晩あーでもないこーでもないとウジウジこねくり回して曲作ってたけど、上手くいかない。
もうこのまま朝なんか来なければいいのに、って思う嫌な気持ちが晴れる曲ができたらいいのにな。」
・・・って感じでしょうか。
波形、デモベースと作曲者ならではのフレーズで「何回も回したレコード (サターン)」「カポ1ばっか(脳裏上のクラッカー)」と、ACAねさんの音楽好きの一面が垣間見えます。
ここでの意味としては、
「ダメだ昔聴いたフレーズだ、からのリテイク延々ループと
聴き手の顔色伺ってウケ狙いの曲作る意味なんてあるの?」
みたいな感じだと思いますが、ルーティンワークで仕事したり
上司や営業先の機嫌を伺ったり、他の人でもできる仕事なんじゃないか
みたいな、普通のサラリーマンの心情にも置き換えられそうです。
「何かできると思って夜更かししたけどできなくて、またお蔵入りにした。
背伸びして自分らしくないことやってみたけど、特別にはなれなかった。」
・・って感じですかね。
「淡い残り香~」の部分はアルバムタイトルの「沈香学」からねじ込んできた感じで解釈が難しいですが、歌詞の後半に結構生活感のある描写が出てくるので、曲の主人公の心情と照らし合わせて、
「Tシャツもしわくちゃだし、部屋干しの生乾きの匂いもみすぼらしい。
こんな情けない僕だったら、いっそ笑ってくれたらあきらめもつくのに」
くらいの感じでしょうか。
ちなみに「攻撃」とは刺激的な表現ですが、「魔の攻撃が押し寄せたら(雲丹と栗)」なんてのもありました。
「歯を食いしばって頑張ってきたけど心が折れた。
友達に?弱音を吐いて泣いて悔やんだけど、
それから臆病になって前に進めなくなってしまった。」
・・みたいなイメージでしょうか。
「君」は理想の中の自分とかのパターンもあると思いますが、
ここではシンプルに「友達」としておきました。
「自分が凡人だって認めて、孤独な夜更かしの生活にも折り合いをつけて、
友達とおやすみ前に電話で他愛もないおしゃべりもできるようになった。」
ちなみに「共感会議」は「居眠り遠征隊」という曲の歌詞にもありました。
「実際に笑われたらやっぱヘコむし、だからと言って媚び売ることもできないけど、それでも強く生きなきゃいけいないから、しっかりと自分と向き合って、せめて健康でいられるようにこれからも頑張っていくよ。」
・・・みたいな感じでしょうか。
ここで最後にまた「柄にないこと~」のフレーズがありますが、
自分と向き合うという心情の変化の後なので、同じ歌詞でも、それまでは
「自分にないものを表現しようと借り物の表現で取り繕ってた」というニュアンスだったものが、
「自分をさらけ出して恥ずかしいことも包み隠さず表現していく」といった前向きな意味合いに変わっていて、だからこその「負けて嬉しい」なんだなと感じました。
また「頑張りすぎ」「健康でいられますように」のワードは、同じように頑張っているリスナーに向けてのエールのようにも感じられ、なんだか温かい気持ちになります。
とにかく”ずとまよ”の曲の歌詞には、繊細で傷つきやすい心情が表現されていることが多く、「背の順あいうえお 並びたくもないよ(勘冴えて悔しいわ)」「幸福を願っているふりする係だから(脳裏上のクラッカー)」とそんなことで苦しんでいるのかと、胸が痛くなることもしばしばです。
そんな中、この「花一匁」は生みの苦しみを乗り越えて、それでも一歩ずつ前に進んでいくという意思を感じられ、活動6年目に入って心機一転、ファンと共にまた新しい景色を見ていきたいという決意が伝わるような記念碑的な一曲になっていると思います。
僕も「愛のペガサス」に参戦予定ですし、引き続き自分のお仕事を頑張りながら”ずとまよ”を応援していきたいと思います。
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