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小2長女の宿題について思うこと。

小2長女は宿題が大っ嫌い。

いつも宿題は、あと回し、

僕が帰ってきてから寝る間際まで宿題をやらず、

怒られながら、一緒にする。

泣きながら、一緒にすることもある。

宿題を素直に自分から進んで終わらす家庭が一般的なのだろうが、

我が家はそうではない。

他の家庭はどうなのだろう。

この宿題についてイチローはこう述べている。

「大人になると、やりたくないことをやらないといけなくなる。」

「その訓練ととらえることはできると思う」

「やりたくないことをやらないとなると社会では生きていけないから」

「そのための訓練と言う捉え方は僕は好きだね。」

「好きなことばっかりやっているとなかなか、社会人になると難しくなると思う」

「宿題はやりたくないことをやれるようになる訓練」

このことは、理解できるが、低学年にこのことを伝えるのは難しい。

どうしても対立してしまう。

低学年の宿題は、家庭を分離する糧となる。

ただ、親子の縁を切り裂くだけのものだとそう感じる。

親が真面目にさせようとするほど、子供から泣かれ、子供が怒り、親が怒る。

この連鎖ほど悲しいことはない。

これは、核家族となり、共働きする家庭において不運でしかない。

むしろ、そうなることを狙っているのだろうか。

そう思えてならない。

宿題がなければ、言い争うこともなく、親子で楽しく工作できる時間が作れるのに。

宿題が邪魔をするようで思えてならない。

学校側も宿題の出来ている。出来てない。で学校の先生から話を聞かされる。

これは、イチローの言葉を理解させたい親や学校側の思惑だけで、子供への負担は大きい。

イチローの動画を長女に見せてみた。

3回見せたみた。

「社会人ってなに?」

低学年には難しい単語。

伝えるが、
「だって宿題嫌だもん!」と一言。

できれば、宿題の怒っている時間を楽しい時間にしたい。

宿題に対する親の工夫も足りないのだろうけど、宿題は親にとっても負担になっている。

これは我が家だけなのだろうか。

皆さんの家庭はどうなんでしょうか。

イチロー先生、教えて下さい。

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