アフターコロナに備えて。今、出来ること。その①
私は、今まで閉鎖的な業界で半生を生きてきました。
パチンコ業界は20年前まで”気合いと根性””真面目に勤務”だけで、ある程度の地位や給料がもらえていました。私自身23歳で年間売上高25億円のお店の店長に抜擢され、当時では若きエースの第一人者として、出世街道に乗った瞬間でもありました。24歳時の年収は700万円。業界も活気があり来店客も多く、週末になると店内は鉄火場状態でした。業種が業種なので、チンピラやゴト師(外国人ゴト師含む)たち、また社内不正との闘いの日々でもありました。武闘派でもなんでもない私は、プライドだけで輩(やから)たちと立ち向かい、日々恐怖を背負いながら生きていたのを覚えています。右も左もわからない大学中退のアルバイトからの中途採用でただひたすら真面目に勤務していただけの私は、店舗を守り、利益を確保することだけに集中しており、なんとか数年間とくにケガもなく業績を維持させていました。そして27歳の時に(当時は36店舗チェーン展開をしている法人)、現場の一番最上級の役職に昇格し、部下には年上ばかり。まさに「お山の大将」になりました。その当時はインターネットが普及したしたばかりで、社内ではネット整備が遅れており、情報の習得はテレビや新聞が主だったのです。私の日課は、朝店舗に入って新聞を見ること。新聞を見て世の中の情報を得ることをルーティンといていて、その得た知識を部下にアウトプットして口頭での情報発信をしていました。
スポーツ新聞でしたけどwww
ご存知の通りスポーツ新聞はスポーツに特化した(野球と競馬が特に充実)新聞です。最終ページから2ページめには、エンタメ情報が掲載されており、芸能界の情報にも精通していました。「政治?経済?それってオイシイの?」と、本気で思っており、自分には関係のない世界でした。さすがに総理大臣くらいは知っていましたが、そもそもどうやって総理大臣が決まるのかすら知らない…そんな人間が”年商25億円”のお店を担当してるわけです。今思えば笑いしかでません。世の中がパチンコという娯楽産業を支持し、会社が多額のお金を出して、莫大な利益が出ていただけなのにいつの間にか、
この会社は俺でもってる
という、意味不明な自信を持って仕事をしていたのです。こういう業界にいた私は、世の中の情勢や経済の動向など全く知らなくても、お山の大将だったので当然教えてもらえる人もおらず、恐れもありません。そもそも「会社ってだれもの?」→「そりゃ社長だよ!」と平気で言っていましたからね。そんな業界が右肩下がりになるのは本当にわかります。世の中そんなに甘くないの典型ですからね。もちろん馬鹿ばかりではないし、本当に勉強をしている方々がおられるのも知っていますが、少なくとも私のまわり(現場)にはひとりとしていませんでした。後年、教育の重要性や知識習得の必要性を知ったのはこういう20代を過ごしてきたからと思います。
そんな業界だったからこそ、世間でなにが起きてるかもわからず知らず、情報弱者の典型となっていきました。余談ですが、当時収入だけはあったので、個人的にノートパソコンを買いました。購入目的はレンタルCDをダビングすること。購入したお店の方にインターネット契約をすすめられましたが、丁重にお断りしました笑。パチンコ業界はバブル崩壊後不況に強いと言われていた時代だったので、バブルってなんのことだったのくらいにしか思っていなかったし、アメリカ同時多発テロが発生したときのアメリカ経済がどうなったのかも知りません。そういえば政権交代もありましたね。なにが起きたんでしたっけ?今でこそ、気になったことはweb上で検索をし、ある程度調べることが出来ますが、最近は一番大切なことが無かったことに気が付きました。それは…
経験していないこと
なのです。過去文章を読んで知識は得られますが、経験をしていないんです。経験をしていないとどこか他人事となってしますのです。人間とは面白いもので、実経験をしていないと他人事になってしまい対岸の火くらいにしか思わないその典型でした。私は宮城県仙台市の塩釜というところで、半年間常駐していた時期があります。その地域を去って、その半年後に東日本大震災です。津波の映像が出るたびに、当時本社へ訪問していた道が映し出されます(福島県の湾岸沿)。言葉では表現できない感情になりました。そのニュースを見ていたのは香川県高松市の事務所内でした。一緒に見ていた仲間たちも「大変なことが起きてるな」と表情を固めていたのを覚えています。が、さすがはパチンコ業界です。その月の営業実績は上昇という結果となりました(香川県全域で稼働率上昇)。もちろん東日本は大幅低下です。同じ日本人であり同じ国土の中で生活をし、たかが1000kmしか離れていないのに、地域のパチンコ客は増えて、店舗は増収増益の月となったのです。
また最近でいうと、”コロナやばい”と連日報道されていましたが、どこか他人事の空気がありました。他人事楽観的に考えていた人々がある日突然恐怖に変わったのです。志村けんさんの訃報です。私自身もこのニュースにはショックを受けました。訃報が出るまでは、まだ現場の最前線で営業を見ていたので、「コロナコロナって言ってるけど想定以上には売上が低下していないね、コロナって田舎は大丈夫だ。都会だけの問題。」くらいに思っていました。が、訃報が出た翌日から、今まで見たことがないくらいの集客人数低下売上低下利益低下に陥り、パチンコ店はその後全国的に営業自粛となりました。本当に一瞬の出来事でした。そうです。国民的スターであった志村けんさんの訃報によって、
全国民は経験したのです。コロナの恐ろしさを。
今一度考えなくてはなりません。他人事ではなくイメージを具現化して今のうちに出来ることを今のうちに行動しなければならないのです。
アフターコロナの世界をイメージして。
→→→→その②へ続く