歴史(過去)から考察する現代(未来)~信長と義元 桶狭間の戦い~
私は、小学生の頃から歴史が大好きで中学生の頃には毎日時代劇を見ていた。とは、言っても漫画やドラマレベルの好きであり、文字々している小説や堅苦しい大河ドラマは全くと言っていいほど見たことがなかった。が、25歳を越えたことから、より詳しく知りたいと思い、小説やネットなどで調べるようになった。特に”本能寺の変”や”坂本竜馬暗殺”など持論を唱えるほど深く知っていった。日本史はもとより、中国史や朝鮮史なども興味が湧いてきて、最近は大東亜戦争や近代朝鮮まで勉強している。勉強と言っても、書籍やネット、各国の大河ドラマレベルですけど。その代わりと言っては何だが、ヨーロッパ史などの欧米歴史は全くわからない…。
今、私が自分に関わるまわりの人に言ってることは、
「歴史は未来を予測すべく、指標となる」
と、言っている。私の知り合った経営者の方々は必ずと言っていいほど、ある程度の歴史を知っている。青年時代によく思っていたことは、「今川義元って、気持ち悪いおじさんで、余裕をぶっこいて、信長にやられた単なる残念な人」くらいに思っていた。だって、当時のドラマや漫画はそういう描写が多かったから。もちろん過去の事なので、絶対これが正しいなんてことはないけど、知っていくうちにある程度、その時代の英傑たちの人生がわかってきた。その思考になったのは、
【文化を現代と合わせる】
ことによって、その時代の事件や結果などを考察しやすくなったのである。例えば、「明智光秀は日本の英雄である織田信長を己の野心の為に殺した大罪人だけど、羽柴秀吉にあっさり殺された」と思っていたが、知っていくうちに、明智光秀という人は、当時では最高レベルの文武両道知識人ということがわかってきた。その知識人がなぜ信長を殺したのかという謎が深まっている。
今年の大河ドラマはとても楽しみにしている。女優のスキャンダルから始まり(エリカ様には期待していたのに…)、コロナ過によって放送が中断したりと踏んだり蹴ったりだけど、最終回まで本当に楽しみだ(年を越えても最後まで予定通り放送するとNHKが発表済)。なぜかというと、光秀という日本史の大誤解をうけている人物を取り上げているからこそ、どういう描き方をするか。主役だから己の野心”だけ”で、主家を攻撃したという描写はしないと当然思うけど、どの説をとるのか。余談だが、私の父親も本能寺の変を調べており、会うたびに激しい口論となる(なぜかいつも上から目線で言ってくるから笑)。
さて今回は、人生で初めてとなる、私の(浅はかな)歴史認識を踏まえたうえで、歴史(過去)と現代について紐づけたいと思っています。6月7日に放送された大河ドラマ「麒麟がくる」の”桶狭間の戦い”から抜粋して意見を述べたいと思っています。※添付画像を無断で大河ドラマの画像を使用してるけど営利目的じゃないから大丈夫かな?と思いながら書きます。もしまずかったらご指摘いただければ助かります。
桶狭間の戦いとは、今川義元が上洛(当時の都 京都に行く)をするために出陣するが、その行く手にある織田家を滅ぼし、平定しようとするが、逆に信長の奇襲によってその命を落とすといった大どんでん返しの戦いです。当時は2万という大軍を持って、本拠地駿河(今の静岡県)を出た今川義元が松平元康(のちの徳川家康)に先鋒を命じて織田領を攻め込んでいた。対する織田軍は2000人。多勢に無勢で、織田家々中は存亡の危機に瀕していた。つまり、滅亡=死する状況だったのだ。現代で言う、大手が出店してきて地場産業が壊滅=廃業の憂き目にあっていたってことだ。これはピンチ!織田家々中は連日対策を練っていた。今更和議なんて眠たいことは言ってられない。織田家と今川家は宿敵同士(水と油)だったからだ。織田家の宿老(幹部)たちは、籠城だの降伏だのと後ろ向きな評定(会議)を日々繰り返していた。しかしながら、信長だけは諦めていなかった。ぎりぎりまで今川軍の情報を収集し、最後の決断(籠城か決戦か)を下そうとしていた。籠城とは城に籠って持久戦をすることだが、古(いにしえ)の兵法には「籠城戦は、後に策がある場合に有効である」となっている。つまり、援軍がくるための時間稼ぎや別の起死回生の作戦があるときに有効な手法ということだ。ここで、思う事は宿老たちはなぜ援軍も期待が出来ないし、起死回生の作戦なんてありもしないくらい窮地なのに籠城策なんて提唱していたのか全然わからないが、それだけ20,000対2,000とは絶望的な状況なのだと想像できる。宿老たちも決して馬鹿だらけでないのだから。
現代でもいえることがある。財力のある大手出店がきたとき、ただ忍んでいればお客様が戻ってくる。経営戦略はないが、来てくれるお客様に誠心誠意接客すれば、かならずいつの日か戻ってきてくれると。結論から言うと、
「絶対お客様は戻ってきません。確実に廃業します」
結局、今も昔もなにも変わっていないのです。無策な後ろ向きな思考や行動はただ死を待つだけなのです。「座して死を待つより誇りを持ち、闘って死を選ばん」という高潔な武士が言いそうな言葉ですが、それは個人だけが思っていればよいのです。自身の家族や家臣(従業員)その家族の命が掛かっているのです。組織の長たる君主(経営者)は、自分の事ばっかり考えてもダメなのです。
今回大河ドラマで詳しく表現してくれたのだから、物語としてではなく現代に合わせて考えてみるとある程度の答えが見えてきます。
信長は、あちらこちらに密偵を放ち情報収集を行っていました。その情報から、伸びきった戦線。つまり20,000人という大軍でも長くなりすぎて細くなっていることに気が付いたのです。しかも、そもそも20,000人もいないということにも気が付きました。当時、兵士の数は誇張していたと言います。今のようにわからないことがあればネットで検索して、情報が簡単に得られるわけではない時代ですから、見た人が言葉を伝聞し、話が大きくなっていったのです。伝言ゲームの原理ですね。ドラマでも表現されていましたが、戦線が長くなり過ぎていたことや、実際の兵士の数は12,000人くらいと分かってきました。しかも今川義元の周りには5、6,000人程度しかいませんでした。対する織田軍は最終的に集まったのは3,000人。十分勝負が出来る状況と判断し、奇襲攻撃を決意します。結果は、今川義元は戦死し、織田信長が勝利します。歴史的な大どんでん返し=大事件です。地場の田舎大名が大手大名に勝利したのです。しかも当主の戦死という、今川家にとっては壊滅的な敗北でした。勝利後、地元尾張(今の愛知県)では信長は存在感を一気に高めていくことになります。この時から信長は天下を目指していくことになるのです。
情報を制する者は戦を制する
と言われる、日本で最も有名な戦いでした。これは今の現代でも同じことが言えます。情報を得ることにより、有利な人生が待っていると思います。例えば大手商業施設が進出してきて、商店街がピンチに立たされたとき、大手にはない小回りの利くサービスを開始しました。商店同士が連携し、商店街オリジナルのサービス(クーポン券発行や訪問販売を強化したりなど)を行い、地域が活性化した実例もあります。戦国時代に比べて科学が進化した現代では、ほしい情報があちこちに発信されており、情報そのものを得ることは難しいことではありません。ただ難しいのは、
得た情報をどのように使うか
です。情報自体が少なかった時代でも、その少ない情報を使って大局を判断決断し、戦略を考えて行動に移す。これは現代でも絶対必要なスキルです。当時の大名や武将は、負ければ死=家族崩壊だったのですから、現代はまだまだやれます。その得た情報をどうやって活用しながら利用しうまく使っていくか。それがわかれば何も苦労はしませんが、まずは情報を得てほしいのです。戦う前に情報を得て、整理して自分に合った人生術を考える。趣味からスタートしても良いのです。好きこそものの上手なれといいますから、好きなことから初めて、それを生業にする。こんな楽しいことはありません。
私も志半ばですが、まだ40代。人生は80年と言われていますからまだまだやれるのです。歴史(過去)から学ぶ現代(未来)。今後も故事を参考に発信していきたいと思います。
人間五十年 下天のうちをくらぶれば ゆめまぼろしのごとくなり ひとたび生をえて 滅せぬもののあるべきか
当時の寿命は50歳。生涯を全力で全うしても、なんとはかないものだ。人間生まれたときから死なない者などいないのだから※とものこ訳
それにしても、6月7日の大河ドラマ麒麟がくるの愛之助義元と翼新介のシーンはしびれました。今回の脚本は今までとは違う解釈でそれぞれの武将を描いているので、本当に面白い。とくに染谷信長の底が知れないところがポイント。信長がすごいのか妻の帰蝶がすごいのか今のところ判断できない。そして、長谷川光秀をどう描いていくのか。
楽しみが多すぎて仕方がない今日この頃です。