淡々と一人にこもる。
なんだか最近は、言葉を発することに全く興味をもてなくなってしまった。
前も一度、同じようなことがあったのだけど、今度はもっと、大きな理解の中で起きている感じ。
人の口から出る言葉というのは、自分の内側にないと思い込んでいることであり、わかって欲しいと思っていること。それだけなんだと思う。
もちろん言葉だけでなく、表現すべて。
言葉、ふるまい、時に音楽や踊り、作品と呼ばれるものすべてがそうだと思う。
言葉はとても分かりやすいから、よく現れる。
この世界はすべてのものがただ在るだけで、
私たちが世界だと思っているものは全てただの解釈に過ぎない。
ただ、それぞれの解釈がある。それだけ。
だから、人それぞれがそれぞれの解釈をもち、一人ひと宇宙で生きているのだ。
争いだと思っているものは、悪なんかじゃなく
ただ善と善の押し付け合いだし、
解釈は現実の1側面しか捉えられていない。
それに言葉は現実の1側面しか表せない。
物の区別は、すべて便宜上であると言う事が、なんだか腑に落ちてしまった。
なーんだって。
人との繋がりが希薄な都会から、人との繋がりがきちんと残っているこの地に越して来て、魅力だと捉えていたその繋がりの中で様々な出来事があった。
そこで見えて来たことは、
みんな、一人一人が、自分の世界を生きているということ。
正解や、意味なんて、何一つなくて、
本当は全てのものがただ、ただ、在るだけ。
そこに人の解釈が、それぞれにあるだけ。
ただ、それだけ。
だから、どうにもしなくていいんだなぁと。
私たち個人には、できることなんて何一つない。
だから今日も、流れるように生きていく。
起こることが起こっているのだから、
起こる事に身を任せ、一つ一つ受け取り、捨て、流れて生きていく。