体力を数値化してみる意味は何なのか?
世の中をみていると、なんでも数値化することで具体的に表せるようになっています。
それこそ、人の命や臓器すら「お金」という数字の概念で置き換えてしまいかねないくらいに。
もちろん、「お金」ではなくさまざまな指標を使って何かにつけて数字で表せてしまっていますね。
その方が分かりやすいというのはありますが、果たしてそれでいいのか?と思ってしまいますね。
人の体力(専門的にいうとそれこそ瞬発力とか全身持久力とかに分類しないといけないとかいいますけど、一般の人にもイメージしやすいようにざっくりとこの表現で。)とかも、正直どうなのというのはあります。
例えばよく体力「年齢」でこれができたら20代とか30代とかいいますけど、確かにできたらそれなりの力があることはわかります。
けど、正直それだけのことに過ぎないのかなと思うのが最近の考え方ですね。
人によっては、やろうにもできない人なんかはいますし、そもそもこうした体力年齢とかは「その年代からみたときに平均してこのくらいはできる」というようなものに過ぎない。
ましてや、じゃあこれができるようになったというある基準があったとして、それに向けてトレーニングをするかというとそういうわけではない。
それこそ、「手段と目的が逆転」してしまっていていることになる。
本来は生活するうえで必要になる体力をみるはずが、数値化してしまうことで「数値」を目安にしてしまうことで「数字」ばかりを狙って行動することになりかねない。
まるで学校のテスト勉強みたいになってしまい、「数字をとる」ために「生きている」みたいに。
医療従事者は確かな根拠をとったり、論文にあげたりするのに検査をして、細かい数字をとりにいくのがしょっちゅうあります。
理学療法士で論文を出す人も、膝を伸ばす筋力を図ったり関節がどこまで動くのかということ、心肺機能としてはどうかというのをやはりみています。
ただ、それはあくまで学問上のはなし。
じゃあその数値が実生活で何かに使われるのかというと、そもそも普通の人はあまりに意識しないでしょう。
歩いたり立ち上がったりするときに、「このときに膝がどのくらい曲がって、どのくらい力が入っていて」とか、ほぼありえない話ですね。
せいぜい、「こうすれば楽かな」というくらい。
それでもって、そうした数字がパフォーマンスとして比例してよくなるのかというとそういうわけではないでしょう。
むしろ「体の使い方」の方が影響が強い。
今回、体力というイメージですぐパッと思い浮かぶこととして「筋力」という言葉がでてくるでしょう。
そうした筋力というものの一般的な考えを外すような本をいくつか紹介して、今回はこれまでにします。
「筋肉よりも骨を使え」
https://www.amazon.co.jp/dp/B00KL0ETYM/ref=cm_sw_r_apa_i_LfVZEbNFK9PBF
「身体の聲」
https://www.amazon.co.jp/dp/4569842801/ref=cm_sw_r_apa_i_BgVZEbW7R8E4Q
※こんなこと書いていると、普通の理学療法士とかは「何いってんだこれ?」と言われるか「この人ちゃんとやってないな」とかは言われる可能性が高い。
ただ、あまりにも数字に固執しすぎてはいないかということだけ解ればいい。そう思っています。