どんな道を、いってもいい
書いているときは、おはようございます。
もなりん(主)です。
仕事をしていて、今の世の中のニュースに対して色々な反応があるなというのを外に出てみると実感しますね。
絶対外にはでないという人、どこか違和感はあるけど出ないとやっていられない人、マスクはしょうがないという人、いや絶対つけないといけないと思っている人、むしろマス◯ミなんかしらんという人…。
どんな風に世の中を感じるかはそれぞれなので別にいいですし、そもそも生き方に正しいも間違いも本来はないことです。
でも。
ニュースとかをみている人の多くの人、とりわけいうことを信じている人はそれが「事実」であると思っている。
そして。
ニュースに疑問を持っている人に対して、あるいは反発するような人に対しては同調圧力でもするかのような反応をしている。
まるで、別の国の人をみるかのように。
正直ウイルスだろうとなんだろうと、なんだっていいんです。
ただ、あまりにも型にはまってしまったといいますか、「答え」を求めて同じような行動をすればいいと思う人が多すぎてしまうというのはあります。
しかし、「多くの人がいくから」といって、その道が正しいというのはないでしょう。
それこそ、狭き門の話(『新約聖書』マタイ伝第七章に「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」から。
【出典】 『新約聖書』より抜粋)ではないですが(今はこれも意味が変わって、かなりの困難を極める道の意味ですが)、常に目指す道をみて、そこに対する行動をとっていきたいものです。
ちょっと最後はちんぷんかんぷんになってしまいましたが、この辺で。
どうか、伝わって。
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おまけ
もな子「もう一月経つね、早いね( ; ゜Д゜)」
もなりん「おいおい、年いった人みたいなことを言うなあ。とはいえ、確かに早いな。」
「うん。で、主も年のことは気にしているはずだけど、主は何かしら問題でもあるのかな(´・ω・`)?」
「そこは本人に聞いてみないと分からないことだな。そもそも自分等は主に会えないだろう。」
「でも、なんかつながっている感覚はするのよね。その感覚をいうなら…『いつまでこうしていればいいんだ?』というか、『同じことの繰り返し』を辞められるにはどうしたらいいんだ?という感じかな(・_・?)」
「妙な感覚だね。これは主、仕事にしてもプライベートにしても問題ありそうだね。」
「とはいえ、私達よりも主がどうにかするしかないから、うまくいけることを祈るしかないかな(-_-;)」
「まあ、主を信じよう」
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