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言葉の力と責任:思いを伝える文章について考えた

毎日、無責任?に文を書いているのだけれど、わたしなりに人を傷つけていないか気にしているつもりです。

いろんな人の記事を読んでいると、時々ものすごく強い言葉で書いている人もいて、読んでいて少し苦しくなることがあります。そんな時は特に、自分がそんなふうに誰かを苦しくさせるような文を書いてないかって心配になってしまうのです。

でも。
こんなことを書いたら傷つく人がいるんじゃないか、とか思っていたら怖くなって何にも書けなくなってしまうとも思うんです。

日々いろんなnoteを読んでいて勇気をもらうことがたくさんありました。
勇気をもらえる文章と、なにか煽られるように苦しくなる文章ってなにが違うんだろう。

***

読んでいて共感できると、嬉しかったり、これから頑張ろうと思えたりして勇気が湧きます。そういう文章は、わたしの存在を認めてくれるんだよなぁ。ダメでもいいんだよ、って言ってくれるんだ。

逆に、文を読んでいて苦しくなるのは、書き手の凄さばかりが目立っていて、自分が否定されている気持ちになるとき。きっと、書き手は一生懸命に読み手のわたしを引き上げようとして書いているんだと思うけど、なんか疲れてしまうからもういいってなる。

ん? わたしに根性がないだけかもしれない。


まぁ、人はそれぞれ違う人生を歩んできているわけですから。物事の感じ方には違いがありますよね。


わたしが勇気づけられた文章で傷つく人がいるかもしれない。

わたしが傷ついたと思う文章で勇気づけられる人もいるかもしれない。


結局、読み手がどう捉えるかは、書き手にはどうしようもないのかもしれません。特にわたしみたいなヘタクソには文章で誰かを操ることなんてできっこないのですから。









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ともも|助産師
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