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人生100年時代のモデルとは

本日、中学生になる娘の授業参観があり、ちょろっと覗いてきました。

私は授業よりも、教室に貼られている標語とか、黒板の使い方とか、クラスを形作る小道具みたいなものがすごく気になっちゃうのですが、

今日もそんな感じで黒板の隣にある週明けの時間割表を眺めていたら、目に飛び込んできた言葉がありました。

「認知症について知ろう」

後で娘に確認したらば講演会のテーマだったらしく、

そうか、こんなぴちぴちした中学生にとって認知症も人ごとではなくなりつつあるのだなと、ちょっと重たい空気を感じました。

私たちの世代(昭和)が蓄積してきた課題を、今度は子供達の小さな肩に不作法に積み重ねているような。そんなことを伝えるがための講演会ではなかったと思いますが

時間割表に「認知症」と出すばかりでなく、

私たち世代の生き方を任せっきりにしない、自分の責任は自分で出来る限りとっていくという態度も、私たち自身が示していく必要があるよな・・と感じたのでした。

少し前になるのですが、こちらの本を読みました。

あとがきに「人生100年時代のロールモデルを見つけた」とあります。

モデルというと、「この人すごい!」とか「見習わなくては」とか、どこか相手を崇めて、自分より上のような存在に仕立てあげがちです。

でも、この本の主人公、哲代おばあちゃんは、そういう意味での「モデル」ではありません。

哲代おばあちゃんの姿は、しっかりと誰かに寄り掛からなくては生きられない、お年寄りの生き方そのものでした。

その頼りなさもありながら、一人暮らしを楽しもうとする姿が、読者である私をどこかほっとさせてもくれたのでした。


哲代おばあちゃんは、みんながみんな「自立せよ」と言うてるのではないと私は思います。

どちらかというと、「私はこういう生き方を選んでいます、あなたは自分をどう生きますか?」と問うてくれている。そんな気がします。

そして、それって簡単に答えの出ることではないのですよね。

自分の人生を誰かのせいにしていたり、自分の弱さを認められないままだと、絶対にできないことだと感じます。

雨の日は心細くなるし、足腰には自信がなくなるし、隣近所、同世代たちはどんどんいなくなる・・・

長く生きたからって人ってそんな変わらんよ、と、ありのままの自分をみとめきった哲代おばあちゃんが、読者である私を励ましてくれるのだと思います。


認知症について知ろうとしてくれる若い世代がいることは、本当に心強いことです。

いざという時、きっと何か覚醒したまま生まれてきちゃっている若い世代が、ものすごい発想とテクノロジーで支えてくれるような気もします。

でも、それだけではやっぱり、爆進する高齢社会に太刀打ちできないかもしれません。そんな時、

心細い時は、誰かに頼ってもいい
元気な時は、自分らしく動きまわりたい

自立するってことのファーストステップにはきっと、自分の弱さを知るってことがあるでしょうね。そして、そこから、自立した自分を育てていたい。

と同時に、

ロールモデル、憧れの人、なりたいと思う人・・・

は、もういないのかもと思ったのです。

同じような人に、もうならなくていいというか。哲代おばあちゃんを目指さなくて良いというか。

自分がどういう弱さを持っていて、どういう強さがあって、だからどう生きていきたいのかを、ちゃんと知る。

私は、時に心細くもか弱くもなる哲代おばあちゃんから、そんなことを教わりました。

***

この本がベストセラーになっているのを知って、読まずに終わらせておかなくてよかったと思います。

普段、こういうノンフィクションもののベストセラーは新刊買ってまで読んだことなかったのですが(失礼)、

これはこのタイミングで、新刊で読めてよかった。ベストセラーになっているのには、やっぱりちゃんと理由があるなと、その意味でも勉強になりました。


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