読者を「説得」しちゃいけない
原稿作りの何が面白いかって、やっぱりその人の生き方、生き様みたいなものが丸裸になっちゃうってことですね。
言いたいことがある。伝えたいことも明確。その上で、どう受け止められても自分のまま責任を持つことが必要になってくる。
本当に、言葉って文字って本って、不思議なものですね。
私が原稿を書くときに、気を使うようにしていることがあります。
それは、読者を説得しようとしないこと、です。
伝えたいことがあって、言いたいこともはっきりしていても、読者がそれを受け取るどうか、理解して実行するのかどうか、またそのタイミングかどうかは、読者次第です。
つまり、書く人は、書くことはできるけれど、読者の行動や思考までコントロールできないってことですね。
(これって、本を書くことだけじゃなく、多分あらゆる人間関係と同じなんですよね、相手は変えられないというアレ)
そういう意味で、生み出すのは書き手ではあるけれど、「本は絶対的に書き手のものじゃない」ということを心の片隅に置いておく必要、あると思っています。
なんで説得しないかっていうとですね、それによって本当に伝えたいことが伝わりにくくなるからだと、今の時点では思っています。
言いたいことがある時ほど、コミュニケーションによほど精通したプロでなかったら、どうしたってナチュラルに「上から」になっちゃうんですよね。書いたりすると、それは、こうしてこうするとああなるから、だからこうすべき!みたいな、斜め上から圧をかける文章になっていく。
要するに、その方が簡単にできてしまうのでございます。
もちろん、説得してほしい!という読者もいますし、その方が伝わりやすいキャラであったり、内容にも大いに関わってきたりもします。
だから、説得する文章が存在することを否定するつもりもないのですが、それが自分が本当に伝えたいことを伝える手段として適切か?は点検する必要があるように感じています。
「説得する」を著者としてのスタンスから取り除くと、本を通じて私は読者に
・寄り添いたいのか?
・楽しみを与えたいのか?
・布教したいのか?
・教えてあげたいのか?
・情報を活用してほしいのか?
・・・あたりの具体的なポジションも、少しずつ見えてくるメリットもあるなあと感じています。
そして、私がこれらを学んだのは、児童書の制作を試みたからにほかなりません。ものすごく勉強になりました。子ども読者に説得は全く通用しない。以上。
さて、私が「説得する」を防ぐために取っている一つの方法ですが、それは「伝えたいこと」の解像度を上げていくことです。
例えば、言いたいことが「早起きすべし!」だとして、
「早起きすると人生好転!みんなそうすべし!」
で終わってしまうのではなく、
「早起きして朝日を浴びることでなんとかホルモンが出て活性化する、鬱を防げる」
と伝える。言いたいことを直接いうのではなく、根拠や具体例を示し、読者に結論を導き出して(察して)もらうということです。
もちろんエビデンスとしてのデータがあればそれでもいいし、あるいは、自分の体験・経験を具体例にしてもいいわけです。そこから導き出された結論は、どんなデータよりも厚みのある説得力を持ちます。
こんなプライベートな情報でもネタになるの〜?みたいな疑問も浮かんでくると思いますが、なります。
一方で客観性も大事だったりするので、一人では判断が難しいこともありますから、編集者や、読者になってくれる近しい友人や家族を大いに利用していきましょう。
こうして書いてみると、説得するしないって、「読書体験とは自分にとってどういう意味を持つのか」という振り返りでもあるなあと、今思いました。
私にとってそれは、自分の心と対話する神秘的で神聖な時間のこと。飲み会で酔っ払った上司みたいなの、いらないな・・・と思っているというだけのことかもしれません。