「淳子のてっぺん」(唯川恵著)を読んだ。
はっきり言って、夫の事故があってからは、山関係のものは、なかなか辛くて、余程、哲学的なものとかそいうのは、読んだけど、避けるようにしていた。
記憶が蘇ってしまうから。
だけど、田部井さんの本だけは、読むことにした。
400ページ以上もあるものを、2日間で。
疲れました。
唯川恵様が、直木賞作家であっても。
女って、本当に厄介な生き物。
男は、縦社会、女は横社会。
女性初登頂という冠は、今も着いてまわるようだ。
でも、暗黙に、夫に、「あなたと、わたしは同じ穴のムジナに過ぎない」のよって、伝わってきて。だから、唯川恵様に、フィクションを書いてもらうことに了承を得たのだなあという勝手な憶測に過ぎないが。
問題は、登り方。極地法を使っているところ。
夫は、元々弱く、体も小さいから、自分の弱さを知って、みんなで登りたい人だった。だから、極地法という選択になったようだ。
でも、女性登山隊も男性登山隊も、行き着くところは、人間関係、ゴタゴタ。
登ったとしても、いっときは、達成感は得られても、正直その倍のストレスが起きていた。
まあ、その女性登山隊の、いざこざがまたかというほど書かれてあって、笑ってしまった。
男性隊のほうがあからさまにならないだけで、もっと陰険なところもあるかもしれない。男は黙っているから。
妻には、当たり散らした。
「あん時の、新聞写真に、お前がなんで、うつるんだよ、引っ込んでおれ!!」
わたしは、段々、居場所がなくなり、職場の人間関係で悩むようになり、そして、自己喪失病になった。
まあ、結論として、
独身時代、わたしの所属していた田舎の山岳会で、小さな「台湾、玉山遠征隊」だったけど、隊長は男性。任務分担が、他の支部の山岳会の会員も含めてだから、今から考えると、何故に、「食糧、記録、会話(簡単な中国語しかできない)」で、他の女性二人には、何もなかったようで、どうして私だけが、そんな任務ばかり引き受けたんだろう?でも、文句言わず、もちろん完璧じゃない。そんな、自分を自分で褒めてやりたい気持ちになったのである。もちろん、もう退会している。
帰国後、体調が悪く職場には一週間休みをとってしまい、小豆色の尿、ゲロゲロ吐き気は止まらず、枕元には黒のゴミ袋を置いて。医者に行って、肩にニンニク注射を打ってもらい、そんな中でも、報告書の原文をB4の紙に書き連ねた。それから、頂上直下で、高山病がひどくなった一番高齢者の学校の男性教諭が、その手書き報告書をまとめ直して、製本してくれた。まだ、あの頃は、高山病の対処法の知識がなく、ただ寝かせておいただけ。が翌日は、みんな揃って山頂を踏む。富士山より少し高いけど、富士山トレーニングは空身、荷物を担いで登るのとは、全く違うのでした。
あの時代、男性にしてみれば、女ってものは、「連れてって!」タイプの女性の方が扱いやすかったのでしょうね。
「アハハ、」と笑う。
(おしまい)