「こんな世の中に誰がした?」上野千鶴子著を読んで。自分の働き方は、間違っていたとしても、悔いはない。
上野先生の書く文章は、物にもよりますが、とても読みやすく理解しやすい。
ただし、自分の脳みそが悪いため、忘れるのも早い。
「自己決定」「自己責任」の世界で生きている世の中。
人は、言った、「自己責任の一人歩き」と。何度も耳にした。
私の働き方。
あの当時、まだ、大学、たとえ短大でも、進学したいのに、親が、「女が大学行くなんて」という考えと、経済的理由から、大学進学せずに高卒で就職する子もいた。
受験は、競争で、肚を割って、私は将来こうなりたいとか、ここの学校に入りたいなどとも、一切漏らさず、最後まで、秘密主義を守った。自分で、決めたいし、人から、言われて流されるのも嫌だった。
同級生には、得意科目があり、近場の有名私大が受かっても、そこの短大を選んだ人もいた。それは、就職の問題だったから。4年生大学出ても、教師になるしか、選択肢がなかった。じっくり探せば、福祉関係の仕事にもつけたかもしれないけど、視野狭窄を起こしていた。大卒の方が基本給が高い。
私は、将来、何になりたいかという漠然とした夢、「ピアノの調律師」になりたいが、本音だったが、100万というお金と、音楽に対して、音感がなかったので、親には言えなかった。音楽関係は水ものに近いし。
親の顔色を伺い、姉と同じ大学に進めば、何とかなるだろうと。
姉のように、公務員の試験に受けまくったが、どれも落ちた。基礎学力がなかったから。(新卒者の椅子はかぎらていた。椅子取りゲームに負けたのである)
地元の、陶器会社に就職。それも、3年勤めたけど、コボルを覚えただけで、転職。街に出て、印刷会社へ。ここでは、電車通勤で痴漢にあいまくる。
会社では、セクハラ万歳天国。何をやっていたかというと、ワーブロ。製本作業のお手伝い。補助的な仕事ばかりで、身につくものは何もなし。
7年勤めたが、地元に帰って、路線を変えるべきだと。
職安で、医師会の短期バイトを見つける。そこで年金制度、保険制度を学ぶ。
次に、役所仕事に近づこうとして、地方のホールのアルバイトで、1年契約更新で、入る。色々、キーパンチ的な仕事、情報処理の毛が生えたようなことは、学んできたので、いいようにこき使われた。愛想は悪いし、年齢的には、新卒者と比較され、月とスッポンのような扱い方をされた。
ところが、キーパンチと、情報処理に毛が生えた能力でも、今までの経験が役に立ち、夜9時過ぎまで、働いたことも。お給料はアルバイトは、アルバイトなんで、何にもいいことはなかった。何もしない新卒の大学卒の方がお給料、待遇が抜群にいい。
それでもめげず、得意のキーパンチと情報処理の毛が生えたなけなし脳味噌をフルに使う。頭が悪いよね、自分。
そのうち、病気になってしまった。結婚ということがいけなかった。
相当、無理したようだ。
まとめて、言えるのは、特殊な免許、技術よりも、女万能、何でも広く浅く、器用貧乏が重宝される時代であった。(日本の企業は、これまでメンバーシップ型雇用で、社内のあらゆる仕事に対応できるジェネラリスト(万能)養成をめざしてきた。「言わなくてもわかるだろう」という暗黙知のもとで、他の人の分もカバーできるような融通無碍な人材を育て、突出したリーダーもいない代わり、どんぐりの背比べのような集団によるチームワークでもって組織をうまくまわしてきたのでしょう。けれど、そういう職場の暗黙知に通暁したジェネラリストは転職が難しい。そのスキルには、汎用性がなくよその会社では使い物にならないからです。)
(これまでの日本の企業は労働者の能力ではなく忠誠心を重視してきたということです。)p67
(周囲の期待に応えたい人たち、とりわけ女性はたくさんいます。目の前にいる誰かを満足せるのが女の役割だと刷り込まれてきているからです。女性は、他人の役に立ってなんぼ、役に立たない女は存在価値がないと思われがちです。男女を問わず、他人から必要とされる人になりたい、そうすべきだという思い込みはすこぶる強いるようです。
そうやって期待に応えると、後でどうなるか、使い捨てにされて終わりです。)
p75
(一方の総合職女性たちは、男並みに働くことを求められてうえに、女並みの気配りも要求された。)p45
おかしなことに、私たちの時代は、どの職場においても、朝の出勤を少し早めて、職場職場で、お茶だし、朝は、ドリップコーヒーやら、湯飲み茶碗オンリーの職場はいいが、コーヒーとお茶となると、コーヒー茶碗と、日本茶の湯飲みをそれぞれの職員の手持ちカップ、茶碗を覚えては、せっせと、出していた。
お昼には、日本茶は、どこでも。印刷屋さんは、ホールが食事処となるので、時間になるとセッティング。お弁当屋さんから届いたお弁当を配膳。
医師会は、医師会デーがあって、ケーキと紅茶をきちんとした、カップアンドソーーサーで、これも集まった医者にソソがないように出した。
ケータリングも要領良くできて、電話応対も、愛想よく、セクハラ言葉に耐え、一体、女を何だというんだ。とは、思いもしなかった、世間というものはこういうものだと思って、黙って働いた。
だから、今、何もない。病気になってしまって、運転免許も返上して、薬を飲んでいるから、今更、資格勉強しても、超えられない壁、壁。姉に相談しても、本でも読んで、知識だけ持っているだけでいいんじゃない、といつも返されている。
まあ、問題は、短大の米文学の講義で、レーガン大統領の本を読んで、レポートを書いて出したはいいが、学生時代って、脳が動いてないんです。想像力の欠如の結果、「中曽根」さんのネオリベラリズム(新自由主義)、レーガノミクスの「小さな政府」とはについて、スルーしてしまっていた。アホ。
国鉄民営化も、印刷会社に勤めている頃だった。それから、非正規雇用の労働派遣業にも面接に行っているが、それもピンとこず。役所仕事に近づこうとして入った、バイトが採用になって、それは、「小さな政府」の動き。お役所仕事を民間委託にしようという波の最中に、本採用になった。で、クチャクチャ人事。人間関係で悩み始めて、病む結果となりました。総合職扱いは、天下りのご老体たちと、そして、旦那さんの昇級により、解雇された元園長候補の保母の怖い女性だった。その人たちに、仕事を伝達するのに、とても苦労した。泣いたこともある。
でもまあ、病気になって、引継ぎ完了。私は、命がけで、任務を果たした。
だから、悔いはない。未練もない。向かない仕事は、所詮向かないのだ。
歳をとった。夫もいなくなり、「貧乏婆さん」、略して「BB」となった。
上野先生は、「親ガチャ」から派生して、「親親ガチャ」「親親親ガチャ」とおっしゃって見える。経営者の親は、年金、保険、社会のシステムを熟知して、人を雇っているから、賢い。だから、子供たちにも、教育資金、社会のシステムはこうだぞ、競争に負けるな!と、教育の仕方が違う。
うちの場合は、小作農から始まり、戦後の農地改革で農地を分けてもらって、小作農から、何とか脱出。農民は、いつも割りに合わない。生きる術を知らなさすぎるから。
それに、昔から、子供ができにくい家系のようで、養子縁組で、繋いできたようだ。祖母はたまたま男子4人でかしたけど、女子が二人できただけでも恩の字じゃなかったのかなあ。親父は、父親を戦争でなくしているので、メンターがないまま育ち、苦労した。
「親親親ガチャ」の自分。と、自覚するしかない。
貧乏百姓は、貧乏のままなんです。「あなたの努力が足りないからよ」と言われても、こんな世の中に流されて生き残るには、何でも屋になって、壊れた歯車の一部のように、使い捨てになるしかならなかった。「全部、あなたが弱いからよ!!」と、ずいぶん責められた。
自尊心も、育ちません、どうせ、何をやってもダメ、おまけに病気持ちだから、任意保険すら、もう入ることもできません。
こんな世の中に誰がした?なんて、病人の言える言葉ではありませんが、社会の隅で、傍で、じっと堪えて、草引き、竹引き研究をしているのが精一杯です。でも、次世代の人たちが生きやすい世の中に、変わっていくようにと、願います。
竹引き、剪定をやっていても、女性では無理なものは無理なんだという限界をいつも思ってます。
1985年にできた「男女雇用機会均等法」(男並みに働け)で、女性保護法が消えて、(労働基準法では、母体保護を目的に「生理休暇」「夜間労働の禁止」「危険有害業務の禁止」等が定められてました。それらを手放せと要求されたのです。)それを引き換えに得られた平等とは、名目だけのもの。均等法で禁止されたのは、福利・厚生、教育・研修の分野に限られ、肝心の募集・採用、配置、昇進については努力義務とされ、違反しても罰則はなかったから、「均等法が約束したはずの男女平等とは、絵に描いた餅に過ぎないということ」それなのに、実質的な女子保護規定は捨てさせられたのですから、これはやらずぶったくりの「アンフェア・トレード。」女性団体は、「保護か平等化」の二者択一に対して、「保護も平等も」と要求しました。夜間労働や危険有害業務が女性に対して禁止されているなら、男性にも禁止すれば良いと要求しましたがはねつけられました。男性の働き方のルールはそのままで、女性が同じ土俵に上がって競争させられることになったのです。
これは、男並みのルールのもとで競争する「機会の平等」であって「結果の平等」ではありません。p41,42
男たちが作った土俵では、深夜残業や休日のゴルフ、転勤は当然のこととしてこなさないと一人前と見なされません。女は、そんな土俵に上がることは難しい。男たちが免れている家事や育児など家庭責任を背負っているからです。男たちが家庭を顧みることなく、働き続けることができたのは、家に主婦がいたからこそ、男並の競争ルールのもとでは、女性は、ハンディ付きの競争を強いられます。これは女性にとって敗北が運命づけられた競争でした。そして女性が男並みに働けないと「自己責任だ」と言われます。均等法が示した「機会の平等」とはこういうものです。p42
しかし、大多数の働く女性にとっては、名目だけの、平等に対しての実質的な保護が失われることは、労働条件が変わらないまま労働強化が進むと予想され、そしてその予想通りになる。p43
均等法第一世代で総合職を選んだ女性たちは、女性であることを外に見せないように、働いてきた。この世代の生き残り組には、シングルか結婚しても子どもいないか、いてもひとりっ子。産んだ女性も祖父母の援助。また、同僚の女性がなんでも私生活の気配消して働いていた。あたかも家庭がないかのようにして働くのが、働く女の生きる道。均等法が女性たちに「男並みに働くこと」を求めたから。長い間、家庭の匂いをさせないことが働く女の美学。p51,52
1987年のアグネス論争。
(当初は、女性たちが要求したのは、「男女雇用平等法」だったのに、与えられたのは、「男女雇用機会均等法」。最終段階で、この法案の成立にはほとんどの女性団体が反対にまわりました。均等法の立役者、当時の労働省婦人少年局長、赤松良子さんは「たらいの水ごと赤ん坊を流すよりは」と成立に尽力したと言いますが、「こんな法律ならない方がマシ」と言う人もいたくらいです。)p41
同時に、1985年、労働者派遣法も成立し、雇用の規制緩和が進む。
定型的業務に従事すると思われた一般職の正社員は、次々に非正規の派遣社員に置き換わる。それから、30年以上経って、働く女の半数以上が非正規になりました。(非正規には均等法なんて関係ありません。)p40
法律によって保護されない非正規雇用者が増えたのは、政界が財界と結託したからです。・・利益を得る人とそこから排除され落ちこぼれていく人を分断し、格差を拡大します。
政治家が財界の利益に奉仕したのが税率です。低所得者に不利と言われる消費税率を上げる一方で、所得税の累進税率を引き下げ、さらに法人税率も引き下げました。p31
均等法は、傭う側の企業が何も変えなくてすむように作られた法律でした。男並みに働きたいという少数の女性に門戸を開いたけだけ。企業は、女性が働きやすい環境を整えようとはしませんでした。結果、女性の能力を生かせないという大きな損失を生みました。こういう職場でイノベーションなんて起きるわけがないでしょう。結果、政界と財界が守ったのが男性稼ぎ主モデル。それに同調したのが男性主導の労働組合。(政界、財界、官界、労働界のオヤジ同盟が作った人災と言えます。)P50
均等法30周年の節目に朝日新聞インタビューで、均等法をつくった立役者とされている、当時の労働省婦人少年局長赤松良子さんが当時の中曽根首相と官庁ですれ違った時に「資本家の走狗になることを覚悟で」と言われたと証言しています。
同種の証言は、均等法30周年を記念するNHK番組では、当時の審議会の経営側委員が「実効性が上がらないようにつくってもらいました」と証言しました。(驚くほど正直でした。)p56、57
教育、仕事の部分について、自分の体験と、見合わせてみた。総合職じゃなくて、雑用だったから、男性の補助的な仕事に徹していただけなんで、スキルもなく、今に至ってます。
でも、上野千鶴子先生の、この本に出会って、「弱者は、弱者のままでいい世の中」であってほしいと、書かれてあって、少し救われた思いであります。
知らないよりも、知っていた方がいい、今の世の中の理不尽さ。
声を上げることはできないけど、共感することはできるから。
今時は、昔もそうだったかもしれないけど、将来性がある4大卒の女性(資格取得が有利)が嫁さん候補か、または、稼得が安定して多い女性が嫁さん候補としては、男性から見て保険だとして好かれるようだ。いまだ、働きながらワンオペ姿を見ている母親の姿にビビって、今の40代、30代は、独身を通している女性も多いし、男性も何だろう、その上の世代が未婚、という現実、地域柄、収入面なのだろうか。
まとめと反省
本の感想文は、いまだ苦手。だから、分解しながらかくと、バラバラになって、最後くっつけようとすると、順序がチグハグで、前後してしまう。
どんな形であれ、これは、自分のために書いた。今回は、仕事面についてだけに留めておいた。結婚、教育については、少し触れるだけにした。