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向田邦子 精選女性随筆集 十一(文藝春秋)と、岸惠子自伝(岩波書店)

 向田邦子随筆集を読んでいたら、まるで現国の教科書を読んでいるような少し
息の詰まる思いがした。

 自分の読解力がないせいだと思う。それでもって、体調を崩して、母の米寿祝い。

鼻水が止まらない状態で、出かけた。

 少し、無理をしているところもある。

 「ゆでたまごと、きゅうりの差し入れ」の話を書いたが、その元となった、「ゆでたまご」の続編。

P175 の「お弁当」

 自分は中流である、と思っている人が九十一パーセントをしめているという。
 この統計を見たとき、私はこれは学校給食の影響だと思った。・・・

P177
 東京から鹿児島へ転向した直後のことだから、小学校四年生の時である。
 すぐ横の席の子で、お弁当のおかずに、茶色っぽい見慣れない漬物だけ、という女の子がいた。その子は、貧しいおかずを恥じているらしく、いつも蓋を半分かぶせるようにして食べていた。滅多に口を利かない陰気な子だった。
 どういうきっかけか忘れてしまったが、何日目かに、私はその漬物をひと切れ、分けてもらった。これがひどくおいしいのである。
 当時、鹿児島の、ほとんどのうちで自家製にしていた壺漬なのだが、・・私は本当にびっくりして、おいしいおいしいと言ったのだろうと思う。
 その子は、帰りにうちへ寄らないかという。うんとご馳走して上げるというのである。

 彼女は、私を台所へ引っぱってゆき、上げ蓋を持ち上げた。黒っぽいカメに手をかけたとき、頭の上から大きな声でどなられた。
 働きに出ていたらしい母親が帰ってきたのだ。きつい訛りで「何をしている」と言って叱責する母親に向って、彼女はびっくりするような大きな声で、
「東京から転校してきた子が、これをおいしいといったから連れてきた」
というようなことを言って泣き出した。

 帰ろうとする私の襟髪をつかむようにして、母親は私をちゃぶ台の前に坐らせ、丼いっぱいの壺漬を振る舞ってくれた。・・・


この女の子が「ゆでたまご」の母と子だったのです。


 それにしても、「岸惠子自伝」は、戦時中は誰しも大変であったであろうが、行動力には、目をみはるものがある。側から見れば、華やかそうであるが、本人からしてみれば必死であったろう。

 「卵を割らなければ、オムレツは食べれない」

何度も卵の殻を破ってたどり着いた豊穣な孤独と、帯には。

 国際ジャーナリストとしての活躍は、読んでいてハラハラ、ドキドキ。お国によっては、肌や、髪を隠したり、郷に入ったら郷に従えというが・・。思わぬスタイルに私も読んでいて驚いた。

 比べる対象が違うが、私自身、卵を割るような決断ってまだないような。卵が割れた経験はある。

 自分自身の割れない卵はいつの間にか腐っていたとか。(笑)





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