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「わたしはマララ」を読みました。
マララの目を通して、見た、出会った出来事、事件、パキスタンの歴史的背景や、政治情勢の事情が凝縮されて、少し理解できたようです。
何しろ、複雑なので。だからこそ、世界史のテストは、現代の世界情勢につながってくるので、論文形式だったのかなあと、思いました。
P427の訳者あとがき
しかし、この本を読むと、いかにわれわれが彼女のこと(パキスタンのこと)を知らなかったを痛感させられる。生まれ育った国パキスタン。スワート渓谷の美しい景観。「スワートは、もともとウッディャーナと呼ばれていた。”庭園”という意味だ。(P26)野生の花が咲きみだれ、おいしい果物のなる果樹園や、エメラルドの鉱山があり、川にはマスがいっぱい泳いでいる。スワートはしばしば東のスイスと呼ばれる」
また、古い仏教遺跡。「わたしたちの家があるのは、グルカダと呼ばれる地域だ。グルカダは”花の咲くところ”という意味だけど、以前は”仏像のあるところ”という意味でブトカラと呼ばれていた。家の近くには原っぱがあって、そこには壊れかけた奇妙な石の彫刻がたくさんあった。うずくまったライオン像や、壊れた柱や、頭のない人の象などだ。なかでもおもしろいのは、何百もの石でできた傘だ」
また、イスラム教がスワート渓谷にやってきてからの歴史。もちろん、イギリス帝国との戦い、パキスタンとアフガニスタンの分離、ソ連やアメリカの干渉・・。
「父が言うには、わたしたちにジハードに加われと焚き付けているのはCIAだ。難民キャンプの子どもたちに与えられる教科書も、アメリカの大学で作られたもので、基礎的な算数の計算でさえ、戦争を題材にして説明されている。例えば『ソ連の異教徒10人のうち5人がわれわれイスラム教徒によって殺されたら、残りは5人です』とか『(弾丸十五発)ー(弾丸一〇発)=(弾丸五発)』という具合だ。
そして、現状。イスラム過激派であるタリバンの台頭による国内の混乱、騒乱、戒厳令の発令、次々に爆破される学校、残酷な処刑、逃げまどう人々・・。そんな状況のなかでも懸命に、女の子だって勉強がしたいと訴える少女、その少女を襲った銃弾。・・・
そしてこう語る。「わたしは”タリバンに撃たれた少女”だとは思われたくない。”教育のために戦った少女”だと思われたい。そのために、わたしは人生を捧げるつもりだ」
わたしは、この本を読んで一番の反省は、自殺未遂、もどきばかりやってきたんで、失ってこそ、その大切さに気づくというような意味合いの言葉に、ドキッとしました。あのとき、右手切断なんてことにならなくて、本当によかったなあと。
P390
人間は、神様の偉大さになかなか気づかない。神様はわたしたちに、「驚くべき能力を備えた脳と、繊細でやさしい心を与えてくださったのに。話をして感情を表現するための唇、色と美しさに満ちた世界を見るための目、人生の道を歩くための両足、働くための両手、芳しい香りをかぐための鼻、愛の言葉をきくための耳。わたしが片方の耳が聞こえなくなってはじめて気がついたように、体の一部一部がどんなに すばらしいパワーを秘めているか、それを失うまでは気づかないものだ。
私は、元々頭が悪いし、何もできない人間です。
「一冊の本、そして一本のペン」という言葉が異様に響きました。
何もできない人間ですが、自分自身を大切にして、右手に感謝、健康であることに感謝して、読書しては、心豊かに、感受性を高めて、生きていきたいものだと。
ただ、それだけ。偉そうなことは何もいえません。
*
*
パキスタンへは、夫たちの登山に随行させて頂いたので、あのときお世話になった、「ファザル」さんと言う名前をこの本を読んでいたら、思い出しました。
一人で、出歩くな、肌を見せるな、髪を隠せ、天井から、男が降ってくるかもしれないぞ!!と、散々脅され、いつも夫と行動。
やはり、地方へ行くと、猟銃騒動もあったり、お祝いの空砲がなったり、利権がらみが色々あることを思い出しました。
ホテルでは、西洋人の女性が、背中丸出しスタイルに、男性から「Oh〜・・」
揶揄のような声が飛び交いました。わたしは、部屋の中では、ユニクロのユニセックスの半ズボンに普通のTシャツ。
場所は、詳しく知らないですけど、綺麗な緑豊かな谷間でした。
小さな子は、子供服。年老いたご婦人は、ブルカをきてました。
無医村であるらしく、何人もの村人が「ここが痛い」「咳が出る」「赤ちゃんの具合が・・」と、ベースキャンプをはる、下の下のところでも、ファザルさんを介して村人たちが薬が欲しいとやってきたことは、忘れられない。
ベースキャンプはもちろん、移動中であっても。
夫が仮ドクター(医者ではないので)となり、女性の体に手を触れていいのは、女性のみだから、わたしが湿布を貼ったり、痛いところを「ここ?ここ?」と触ったり。
御礼は、貴重な鶏の卵の目玉焼き、ちゃんとフォークまでつけてくれて。そんないいのに。
薬の処方は、夫。ファザルさんを介して、会話。(漢方系の薬を少しずつ、PL、湿布薬など)
どうしても、手に負えないものは、素直に、お断りしてました。
(2005年)
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