サウジアラビア旅行【池上彰さんの本を読む】
サウジアラビアやイスラム教についてほとんど知らなかったので、行く前に何冊か本を読んでみました。
まずは、ジャーナリストの池上彰さんの本。
『池上彰が読む「イスラム」世界』
『池上彰のニュースそうだったのか!!2』
イスラム教について、そして、中東の状況について、とてもわかりやすく解説されていました。
本を読む前の私は、イスラム教がシーア派とスンニ派に分かれているのは知ってたんですが…。どの国がどちらの派なのか、分かってなかったんです…。
本を読んだら、なぜお互いに仲が悪いか?の背景がよくわかりました。そして、なぜイランとイラクが戦争したの?も。
以下は、2冊の私なりの要約です。
アラビア人が多い中東では、イランはペルシア人+シーア派(イスラム教では少数派)。そして、元・ペルシャ帝国なんだ~という誇りを持っている国。
サウジアラビアは、アラビア人+厳格なスンニ派。イスラム教の聖地メッカとメディナを持ってるから、イスラム社会では別格の国。
だから、同じイスラム教国とはいえ、イランとサウジアラビアは仲が悪いそうです。
そしてイスラム教の聖典「コーラン」は、「イスラム教徒がどう生きるべきか」を示しているそうです。
でも、細かく全部は書かれていないし、書かれた当時には存在していなかったモノ・コトがある現代では、どう解釈すれば良いかが迷う場面があります。
だから、「イスラム法」に詳しいイスラム法学者が尊敬されているそうです。
例えば、イランの故ホメイニ師の「師」は「法学者」の意味。イランでは最高権力者は法学者。その下の大統領は、選挙で選ばれているそうです。
ところが、サウジアラビアは王政。国王が首相を兼務するので、実質的な選挙はないようです。
1989年に東西冷戦が終わった隙に、イラクがクウェートに侵攻。
※クウェートとサウジアラビアの深い関係があった事が、サウジアラビア旅行で実感しました。本編で書きます。
1991年に米国+多国籍軍がイラクを攻撃して湾岸戦争になって、フセイン政権(イラク国内では少数派だったスンニ派)が倒れました。
(湾岸戦争の遠因が東西冷戦終結だったとは、全然知らなかったです…)
オサマ・ビンラディン(アルカイダ)が米国を憎んだのは、母国サウジアラビアに米軍が駐留したから。イスラム教の聖地2つを持つサウジアラビアに、異教徒が駐留するなんて許せなかったらしいです。
厳格なイスラム教国のサウジアラビアでは、異教徒が同国に観光に来るのも難しかったそうです。
イラクとイランの住民はシーア派が多かったけど、イラクのフセイン政権は少数派のスンニ派でした。
シリアも国民はスンニ派だけど、アサド政権も少数派のシーア派。だから国民を弾圧。イランは同じシーア派のアサド政権を助け、米国は反対勢力を助け、ISISもやって来てと三つ巴状態に…。
歴史は繋がっているんだなあ~。いつの時代も因果応報、敵の敵は味方なんだと、腹落ちしました。
『池上彰が読む「イスラム」世界』は9年前に出版されてますが、イスラム世界の基本を簡単に理解できる良書だと思います。
『池上彰のニュース そうだったのか!! 2 いまさら聞けない「イスラム世界」のきほん』は7年前の出版。
2冊とも読むと、別の視点からの解説もあるので、理解がより深まりました(^o^)