10年ぶりの新作へのエッセイ ⑵NY
はじめは、数珠繋ぎのように人に会っていった。
NYの人たちは本当にパーティーが好きで、毎週末のように誰かの家でホームパーティーがある。
そこに行けば、誰かとつながる。そしてまたその人のパーティーへ。
と、気づけば大量の友達ができていた。
私はワイワイするのも好きだけれど、基本は一人が平気、というかむしろ大好きなタイプだ。
こんなに友達ができまくるなんて体験は初めてだった。
NYに住んでいる人たちはだいたいみんな、どこか別の街から来ているから、このタフな街でなんとか助け合って生きていこうよ、という思いやりを持っていた。
そして、目標がある人がたくさんいたし、やる気と、エネルギーに満ちていた。そして圧倒的にフレンドリーな人が多かった、笑。
私もなんとか新しいソロアルバムを、という思いを持ち続けながら、そんな生活を楽しんでいた。
ジャズクラブでは、日本だと大きな舞台でしか演奏しないようなミュージシャンが、小さなクラブに自ら楽器と鞄を持ってやってきて、さらりと演奏しては鞄を抱えて帰っていく、というような自然体な姿をたくさん見た。
ものすごいクオリティへの飽くなき追求と、実験への挑戦から起こる摩擦熱の火花と、継承されていく歴史の上に築かれる安心感と、夜な夜な繰り返されることによる気楽さと…音楽にまつわるあらゆる感情が渦のようになる夜のニューヨーク。
すごく音楽が、地に足がついていた。売れるための音楽ではなく、生活の中にある音楽だ。
アートも好きな私は、チェルシーという地区に山ほどあるギャラリーに足繁く通った。
アートと一口にいっても色んなジャンルがあるが、私の中ではアートってとてもおしゃれでかっこいいものだった。
実際、MOMAみたいな大きな美術館も、セレクトのセンスがよくて、なんてスタイリッシュなんだ!とワクワクした。
”芸術”とか、”絵の歴史の勉強”みたいな、遠くて大それたものじゃなくて、クールで素敵で、見る人にエネルギーを与えてくれるもの、そんなふうに扱われている気がした。
街角や、行く先々のお店で、最先端のアートがさりげなく日々の私たちの生活を飾る。もっと身近なんだ。
私自身も、温かい人たちとのつながりのおかげで、マンハッタンのジャズクラブやライブハウスで、orange pekoeとしてのバンド編成ライブや、ソロのライブをしたり、
さらに、フィーチャリングボーカルとして、老舗のジャズクラブのバードランドの舞台にも立たせていただくなんていう、ありがたい経験もさせていただいた。
(楽屋でサラ・ヴォーンの写真を見た時は、身が引き締まる思いだった。)
その合間に、ブルックリンの外れまで電車を乗り継いで、毎週、子供のようにピアノを習いに行ったり、
様々な人種の若い子たちの間に紛れて、作詞のワークショップへ通ったり。
おまけに、抽象画のクラスに出席して、絵まで描き始めた。
こうして、多様性の中に溶け込み、
音楽とアートと、それを愛する人たちにまみれ、
古くて狭いアパートや汚い街角の中でも逞しく夢を見て、自由を謳歌しようとする人たちの間で、
私の傷ついた魂は、少しずつ回復していった。
もちろん、楽しいだけじゃなかったけれど。
過去の自分のトラウマに向き合って、癒しを進めることも並行してずっとやっていた。
そして、1年半ほどの移住の予定が、気づけば2年も経ってしまっていた。
(つづく)
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