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透明性の不透明さ=何でも言える=何も言えない

辛坊治郎氏は

顔を出して
言いたいことを
言う
そして 
言われることを恐れない

透明さの不透明さ」(ブランショ)
に抗っているのだ


「ちょっと 顔貸せや」
言うて喧嘩した。

ブランショはTextes pour emmanuel levinasで「顔を隠す他者」について
次のように言っている。

超越の裏の如くして、従っ て超越と区別がつかず、存在の用語で記述しうるが、ただし、存在しないこと の不可能性としてだ。中性的なものの絶え間ない執拗さ、名の無いものの夜の ざわめき、始まることは決してないもの(従って、無起源・無秩序的である、 なぜなら、開始の決定から永遠に逃れるから)、絶対的なもの、ただし絶対的 な不定としての絶対的なものだ。それは魔法にかける、つまり、不確かな外へ と引き寄せる。欺く者(邪神)と呼んだとしても、私たちが簡単に追い払うこ とはできない或る他者のように、限り無く真理の埼外で話すことによって。追い払うことができないのは、それが椰掩であるからではなく、陰険に抑えられ た笑いでしかないその発話が、しるしを与えながらもあらゆる解釈を怠り、無 償でもなく、陽気でもなく、厳かであり、また、深刻さの幻のようでもあり、 従って私たちの嗣子をこの上なく狂わせるものであり、そう、この発話が、場と光としての存在の力を私たちに拒むのにもっとも向いた運動でもあるからだ
以下 参照

これはレヴィナスが「非人称的な騒音」と呼んだものに呼応する (in「存在することとは別の仕方で」)

確かに
弱者を守るための
プライバシーは
大切にされねばならない

メディアにおいて
A子 B子なら理解できる

でも
司法の場でさえ
記号=
A子
B子

これが慣例となるなら
これから社会は 
無秩序的
匿名
非人称的で
中性的なものの
絶え間ない執拗さによる
叩き合い
となり

そこで
ひとは
匿名の「神」となり
神々の闘いが始まる

神とは不在
神々の闘いは死闘である

レヴィナスが
ブランショが
何と闘い
これらの書物を我々に遺したのか
を考えてみなければならない
ナチズムだ

「無言の世界は無期限・無秩序的であるだろう。そこでは知が始まることはあり得ないだろう…しかし、無期限・無秩序的ではあってもー非意味との境に位置してはいてもー、無言の世界が意識に現前している事態は、すでに、到来しない言葉を待つ状態にある。かくして、無言の世界の現前は他者との関係の直中で他者が引き渡す記号として現れる。この他者が顔を隠しているにしても、つまり、彼が引き渡す記号に、曖昧なまま引き渡すことになる記号に、彼がもたらすべき援助を怠っているにしてもだ」(レヴィナス 全体性と無限)

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