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改造自転車でウィリーする志賀直哉〜倫敦の坂を疾走する漱石vsレンタサイクルでお金節約する萩原朔太郎の「自転車日記」

車一台買える値段(about 200万)した自転車🚲
リッチな
志賀直哉
は 自称 「自転車気違い」
乗り始めたのは1895年(明治28年)10代の頃
おじいちゃんになってから書いた回想録「自転車」
夏目漱石がロンドンで
自転車日記」を書いたのは1902
正岡子規が亡くなる数ヶ月前
子規に

漱石倫敦の場末の下宿屋にくすぶつて居る…
倫敦の日本人はよほど不景気と見える
(五月二十三日)」

正岡子規「墨汁一滴」

と言われ
まだ「吾輩は猫である」がヒットする前
そして
日本に貸自転車屋ができて
レンタサイクルして
萩原朔太郎が「自転車日記」書いたのが
1921年(大正10年)

それぞれの「自転車日記」面白く
三人三様 
性格出てます

おっさんになってから乗った
漱石と朔太郎と違い
志賀直哉は金持で
10代で自転車を買ってもらって 
改造して 遠乗りしたり 坂道攻めたり
ウィリーかけて他人転かせて遊んだり
とにかく別格

背後から来た二人連れの車に挟まれ、競争を挑まれたが、その車ではもう競争は出来ないので、不意に一人の車の前を斜に突切って、対手の前輪のリムに自分の後輪のステップを引掛け、力一杯ペダルを踏むと、前輪が浮いて、その男は見事に車と共に横倒しに落ちた。二人とも私よりは年上らしく、一人と二人では敵わないから、一生懸命に逃げた。

志賀直哉「自転車」

萩原朔太郎は 
こう言っちゃ悪いが 極めて普通
自転車で 電車代節約したら
ぜんざい食えるとか
坂道で どいてと叫び
お前がどけよ 
言われて落ち込んだり

疾行トミニ加速度ヲ増シ、不安甚シク心気動乱ス。前路ニ数名ノ行人アリ。車上ニ呼ビテ曰ク。危(アヤウ)シ、危シ、避ケヨ、避ケヨト。行人顧ミテ笑イテ曰ク。汝自ラ避ケヨト。余コレヲ避ケント欲シ、誤ッテ崖ニ衝突ス…再度自転車ニ乗ラザルベキヲ約セリ。

萩原朔太郎「自転車日記」

お婆さんの耳が遠くて
ベルの音届かず
転かせて因縁つけられ

市中ヲ走ル。前ニ一老婆アリ。ベルヲ鳴ラセドモ聴エズ。道路狭隘ニシテ避ケガタク、ツイニ衝突シテコレヲ倒ス

同上

そして
腹を抱えて笑いが止まらないのが
夏目漱石で ダントツ
なので 漱石「自転車日記」見ていきましょう
青空文庫でタダで読めます❣️

1902年秋
下宿のお婆さんが
デブった重い体で
3階まで
42段の階段を上ってくる
かかった時間 3分5秒
漱石 測る
誰か来るでぇ
外出嫌いなのである この人
満韓ところどころ」「模倣と独立」でも
連れ出しに抵抗してます
んで 婆さん言うことにゃ
自転車に御乗んなさい
???????
漱石 自転車屋に行く
監督兼教師は〇〇氏
わざわざ乗りやすい初心者🔰ようの
女性用自転車を出して下すったのに

鼻下に髯を蓄えたる男子に女の自転車で稽古をしろとは情ない、まあ落ちても善いから
当り前の奴
でやってみようと抗議を申し込む

夏目漱石「自転車日記」

カッコつけなんですね 漱石
「さあここで乗って見たまえ」と監督
女性用乗っとけばいいのに
カッコつけるだけつけて
転けてもいいから普通ので行こうなんて💦
ほんで
乗れないもんやから
うんちく始まります

乗って見たまえとはすでに知己の語にあらず
今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが
自分が乗って見たおぼえは毛頭ない

同上

乗る前から
うるさぃですね
ほんで
周りの視線が気になってしゃーない

ちらほら人が立ちどまって見る
にやにや笑って行くものがある

同上

「もっと強く押してくれたまえ」

同上

他人のせい 笑

…………………………   ある日のこと

監督官の相図を待って
一気にこの坂を馳け下りんとの
野心あればなり

同上

え?
坂🚲 ???
無謀だ
おそらく監督 後ろから押し疲れたなり

坂の長さ二丁
傾斜の角度二十度ばかり
路幅十間を超えて人通多からず

同上

はよ乗って🚲
監督官は
「さあ今だ早く乗りたまえ」
という
みんな言うよ 話し長いもん

ただしこの乗るという字に註釈が入る、
この字は吾ら両人の間には
いまだ普通の意味に用られていない
わがいわゆる乗る
彼らのいわゆる乗るあらざるなり
吾ながら乗るという字を濫用してはおらぬかと
危ぶむくらいなものである、
されども乗るはついに乗るなり、
乗らざるにあらざるなり
ともかくも人間が自転車に附着している也、
しかも一気呵成に附着しているなり、
この意味において乗るべく命ぜられたる余は、
疾風のごとくに坂の上から転がり出す

同上

やっと出発しました 
「疾風のごとく」
初心者が🔰
坂を自転車で🚲

左の方の屋敷の内から拍手して
吾が自転行を壮にしたいたずらものがある
妙だなと思う間もなく
車はすでに坂の中腹へかかる、
今度は大変な物に出逢った、
女学生が五十人ばかり行列を整えて
向からやってくる、
こうなってはいくら女の手前だからと言って
気取る訳にもどうする訳にも行かん、
両手は塞っている、腰は曲っている、右の足は空を蹴ている、下りようとしても車の方で聞かない、
絶体絶命しようがないから自家独得の曲乗のままで女軍の傍をからくも通り抜ける。
ほっと一息つく間もなく車はすでに坂を下りて平地にあり、けれども毫も留まる気色がない

同上

どうにか止まったみたい😰
やっぱ 女の前では格好つけたいんだね

ただ一種の曲解せられたる意味をもって
坂の上から坂の下まで辛うじて乗り終せる男なり

同上

今度は遠乗に誘われ
悩む漱石
悩まんでいいやん
乗れないんやから???

乗る乗る
乗れないことを
どう説明するか悩み
しかし格好もつけたく
こう返答をした

「さよう遠乗というほどの事もまだしませんが、
坂の上から下の方へ勢よく乗りおろす時なんか
すこぶる愉快ですね」  

同上

今まで沈黙を守っておった令嬢は
こいつ少しは乗きるなと疳違をしたものと見えて
「いつか夏目さんといっしょに
皆でウィンブルドンへでも行ったらどうでしょう」 
と話を進めた

ウィンブルドン?
ロンドン中心部からウィンブルドン遠いよ

このうつくしき令嬢と「ウィンブルドン」に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった

同上

何時間でも ええけど
乗れないんやから考えるだけ無駄なんだけど

精緻なる思索とによって余は下の結論に到着した

同上

もったいなくも
一人は伯爵の若殿様で
一人は吾が恩師である

退却落車の二あるのみ

同上

最初からわかってるけど⤵️
そして練習は続き

行こうと思う方へは行かないで
曲り角へくるとただ曲りやすい方へ曲ってしまう
ここにおいてか同じ所へ何返も出て来る

同上

同じところ
ぐるぐるぐるぐる🌀
何と声かけましょうか?

始めの内は何とかかんとかごまかしていたが
そうは持ち切れるものでない

同上

或時は石垣にぶつかって向脛を擦りむき
或る時は立木に突き当って生爪を剥がす
その苦戦云うばかりなし

しかしてついに物にならざるなり

同上

漱石がこれ書いてるころ
子規は亡くなっていたかもしれません

子規は又例の如く…
遠くから余の事を心配するといけないから 

夏目漱石「吾輩は猫である』中篇自序 

心配……してるでしょうね😢

挿絵:「ビゴーが見た日本人」清水勲

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