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ツヴァイク チェスの話: 黒の自分と白の自分

ある事情でナチスに監禁された私
完全な真空
完全な虚無
同じ
同じベッド
同じ洗面器
同じ壁紙
同じ部屋 という
同一性
の病的な反復

無を打ち破る活動が必要だ

ある日のこと
尋問待ちで2時間 待たされた時の
悦び⁉️

この部屋は
とにかく
私の部屋とはの部屋であり
の外套が
のボタンが
たに数え得るしいボタンがある

外套のボタンを数え始める
何か新奇なもの
のものを見ることができる

強制収容所でならば…人々の顔は見られます…ところがここで人を取り巻いているのは常に同一のもの、恐ろしい同一性

その時です
ある尋問官の外套のポケットに本を発見
無我夢中で
隙をついて本をゲット
何の本📕だったでしょう?

見るわけがない❣️
その本が何かわからないから
ワクワクするのです
少しでもこの楽しみを引き延ばしたい
非同一性というファンタズムが活力
ロマン
人間は同一性に耐えられず
非同一性のファンタズムに遊ぶのです

「多分 あなたは、私が早速本を取出し、
眺め、読み出したものとお思いになるでしょう
とんでもない!」

何の本だろう
こんな本だったらいいな
あんな本だったら
云々云々

まず私は、自分の手もとに本があるという、本物の楽しみを味わいつくそうとしたのです。この盗んだ本がどんな種類の本であれば1番嬉しいかといろいろ思いめぐらす楽しみ…

リアルほど面白くないものはないのです
いつもと同じ
いつも一緒の妻
同一
(もちろん 運命の男/女は違います😘)
他者
噂話🌸
〇〇さんってさぁ…
これが面白いのだ
真実→→→話しストップ 沈黙です

もちろん
強制収容所を望むくらいですから
想像を絶する孤独
独房監禁の恐ろしさ
ナチスがこの方法を選別したのは
人間心理の深い洞察があったと言えます

人間1人では生きていけない
恐ろしい同一性
非同一的他者=わからない他者
わからない何か
新しいボタン
を必要とするのです
でなければ拠り所がない
支点がない

思考というのは
いかに実体のないもののように見えても
やはり一つの支点をを必要とするします
それがなければ思考は堂々巡りをはじめ
空しく一所を旋廻するばかりです。

さて
何の本だったでしょう?
チェスの手引書でした😮‍💨⤵️
残念🫤
それでも
何か」=サムシングではある
チェス盤はなくとも
パンを食べ残し
パン屑を♟️チェスに見立てて
チェスに勝つ方法を
手引書を見て
何度も何度も繰り返す
そして
「その後の成行が
自動的に頭のなかに展開されてしまう」位にまで
成長する

繰り返し繰り返し
ゲームを楽しむ

どうやって?
相手もいないのに?
わからない他者がいない
次の一手をどう出してくるか
分からない他者が必要なのです

紹介が遅れましたが
ツヴァイクによる
チェスの話」です
映画化もされてます

自分自身をとしてゲームするということ
が論理的に破綻していること
容易に想像頂けるでしょう
黒が白の
白が黒の
動きを知っているのです
同一性の恐ろしさです
人と人が分かり合えたら…
共感が大事なんて言います
でも
ほんとに分かり合えたら
チェスもできないのです🤭

黒は白の
白は黒の
動きを知っていながら
知ってはいけない
白として手を指すときには
「1分ばかり前に黒として意図し狙ったことを
命令一下すっかり忘れることができる」
そんな二重思考
人工的に脳内に作り出さなければ
ゲームはできない
また
あのの中に戻らねばならない
あの虚無的 同一性退屈の中で
に押潰されまい
精神錯乱か精神衰弱に陥るまいとすれば
脳の機能をスイッチ一つで自在に開閉し得る 
人工的精神分裂症 状態を
作り出さねばならない

自分を分ける
の自分と
の自分に
分裂するほか選択肢がない
そして
白がどんな手で
黒が何を考えて次はどう来るのか
知ってるけど
知ってはならないのです

分裂した「私」それぞれのため
白と黒の自分のために
五手か六手先を読んでおかねば
ゲームに勝敗は生まれないのです
ゲームの勝敗を生むために
私は異なる私でなければならない

他者がどれほど大事か分かりますね
非同一性の大切さが🙋
大切なのは
非同一性への距離
どんな本だろう?
どんな人だろう?
わからない距離

自分の前に本物の将棋盤を持っていたとすれば、ほんのわずかでもやはり救いになったでしょう。なぜなら将棋盤が実在することによってとにかく或る距離

生まれる
形成できるからです

肉体的にだけでも
机の一方から
他方へと位置を変えて
或るときには黒の視点から
或るときは白の視点から
形勢を目に入れることができる
自分をとして
自分を相手にして
自己分断がしやすい
フィジカルな視点があれば
心理的には負荷が少ない

問題はここから
精神分裂の恐ろしさとは
現実の足場を失うこと」
に生きる方が楽だからです
黒が白を
白が黒を追いかけて
心的現実に
二つの自分
生き始めてしまうと
食欲が減退
生き生きとした生を喪失する
そして
意識を喪失した私は病院へ
そして
釈放され
フェリーに乗り
チェス・チャンピオンと出逢い…
もちろんその後は
ネタバレなしです

だから
人間って
やっぱり 
リアル
リアリティという現実
真実=足場が必要

であると
同時に
わからない 非同一的他者も必須
非同一 への
フィジカル
メンタル距離
思考の支点を生むのです
例えば
停電して真っ暗な
人間のまず第一の動きは
手を延ばし
手が何かにあたるのを待つ
つまり
対象との距離を見てる
他者が支点として必要なのです
手がどこにも到達しない暗黒の無
想像してみてください
他者って大事♡
また
ファンタジー=噂話に花咲きますけどね🌸

別稿でも述べましたが
人間って
片足喪失したとき
義足がリアルに生足にぴったりフィット=idenntical
しちゃうと
拒絶反応でるんですって
でなくて
反対に
自分の思うイメージ=義足というファンタズムが
生足=リアルにぴったり合うと思えば痛みはないんですって
リアルが焦点ではなく
ファンタジーが原点
カントが言うように
対象を認識するのではなく
認知を対象とするんです
どうしようもない動物です😺🐶

ナチスに追われた
ユダヤ人のツヴァイクが
亡命生活で
どれほど
同一性を保つのが大変だったか
垣間見れたような気がします


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