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私のnoteルール【2022.3.22制定】(「書くこと」編 ✏️)

noteで文章を書き始めて約4ヶ月。毎日書いているけれど、「これでいいのかな?」と引っかかるものがある。せっかく文章の世界に足を踏み入れたのだから、“なんとなく“のまま歩き続けるのは良くないと思った。私はnoteの書き手として何を大切にして書き、読み手としてどこにポイントを置いて読むのか。そしてどんな記事に「スキ」を付けるのか。自分自身への宣言の意味も込め、この際ちゃんと決めようと思う。

まず今回は、「書くこと」に関するルールから。

◆毎日書く

これはもう、私がnoteを始めた2021年11月14日からずっと続けていることなのだが、とにかく「毎日書く」ということ。私には書く経験も、読む経験も、まだまだ足りない。とにかく毎日、書き続ける。時々、「何のために書いているんだろう……」と虚無感に襲われるけれど、やめる理由がないんだから、とにかく書しかないのだ。1行書くのに1時間かかってしまったとしても、24時までにあと5分しかなかったとしても、泣きながらでも吐きそうになりながらでも、とにかく書くのだ!

◆贅肉を取り払う

「バトンズの学校」で学ぶ前は、文章のリズムや長さを調整するためだけに形容詞を入れることが多かった。1文が丸ごと存在意義を成していないものもあったと思う。しかし、私が書きたいのは、ムダな贅肉が排除された「ひとつひとつの文字が、そこにあるべくしてある」文章だ。本当にその言葉でなければいけないのか、それは本当に必要な言葉なのか、吟味して入れることにする。

◆「入れたいもの」よりも「必要なもの」

良い表現を思いついたり、面白いエピソードに出くわすと、どうしても入れたくなる時がある。しかしそこでも、一旦立ち止まって考えたい。それを挿入することで、文章全体の「論」は崩れないか? 感情に任せて入れた1文が、結果的に雑音になっていないか? 書くべき文章の最終目的地を見据えながら、冷静に取捨選択をする。

◆「苦しいほう」を選ぶ

毎日noteを書いていると、いくつかのテーマの中でどれを書くか迷うことがある。そんな時は、必ず、書くのが大変そうなほう、つまり「苦しいほう」を選ぶ。「バトンズの学校」で文章を書くまで、私は自分にインタビューができるとも、インタビュー記事が書けるとも思っていなかった。「出来ない」と思っていたら一生出来ないけれど、とりあえずやってみれば、やれてしまうのだ。「苦しいほう」は、「書けない」と思っているほう。でも、とりあえず書いてしまいさえすれば、書けるようになるのだ。

◆嘘は書かない

自分の中にない語彙や、本当は思っていないことは書かない。文章の中でそういった小さな「嘘」をつくと、明らかに論が通らなくなる。「読者が読みたいこと」を推測して無理に書くのも厳禁。noteは文章の技術が評価されることもあるけれど、単に書き手の“考え方“や“行い“に対する共感の意味で「スキ」が付くこともあると思う。何に対しての「スキ」なのかは、実はよく分からない。たくさんの「スキ」を得ようと、あれこれ画策するのではなく、「書く力を鍛える」という目的のために、ルールを遵守して書き続ける。

◆毎回が本番

どんなに短い文章でも、毎回が本番だと思って書く。眠くても疲れていても、妥協せずに、その0.01ミリの努力をすることが重要なのだと思う。「今日は本気出してないから」なんて言い訳はしない。出来が悪くても、その事実を受け止める。長い間、私は「文章を書かない人生」を送ってきた。出来得る限りの努力は精一杯やっていきたい。


以上が私のnoteルール・「書くこと」編だ。
これを遵守し、明日からも頑張ります!

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