読書メモ 「バロックの光と闇」
「バロックの光と闇 」
高階 秀爾
講談社学術文庫 2017年
バロック美術が苦手だった。
スポットライトのような光源のもとキリストやマリアや使徒たちが次々と登場し、どぎついメロドラマを演じている、そんなイメージを持っていた。
ジョット、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ファン・アイク、デューラー…。そんなルネサンス期の絵画が好きなせいもある。
しかし、本書に出てくるカラッチの《肉屋の店先》の図版に驚いた。1583年の作であるが、題材、表現ともに自然主義的で近代絵画にしか見えない。しかもなんと画面中央下で小羊を押さえこんでいるのは作者自身である。
次にカラヴァッジォの《聖母の死》に目が留まる。1605年から1606年の作なので、《肉屋の店先》からは20年程経っている。美術理論家のベローリが画中の聖母を「むくんだ溺死体」と言ったそうだが、たしかにそこには理想化された聖母ではなく、ついさっきまで生きていた人間の女の生々しさがある。
私はこの聖母の顔を見て「天使は見たことがないから描けない」と言い放ったクールベを思い出した。そしてファン・アイクによるリアリズムの系譜がバロック期に入っても途切れることはなかったのだと思った。
そしてまたカラヴァッジォの《果物籠》である。モノクロ図版でも息を呑むほどの美しさだ。1596年の作なので、バロック期の超初期、ルネサンス期の終末と言ってもいいかも知れない。Kindle版の画面を思い切り拡大してみる。向かって右側の葉が枯れて陰を帯びている。しかしそれがかえって左側の果物の瑞々しさを際立たせている。
この《果物籠》はかなり早い例だとしても、バロック期にはオランダなどの海洋国で商業活動が活発になり、富裕市民層というパトロンが現れ、そんなパトロンたちの室内を飾る目的で静物画というジャンルが確立していったのだという。
デカルトは1649年に『情念論』を発表したが、シャルル・ル・ブランはこの『情念論』を研究し、絵画表現にどのように応用すべきかを《人間の情念の表現について》としてアカデミーで発表した。その図版が本書に載っているが、これにも目が惹きつけられた。
カラッチやカラヴァッジォの時代も、まさにガリレオやデカルトによる自然の科学的探求の時代に重なっている。そういえばルネサンス絵画の登場人物たちは、ほとんどみな無表情だったことを思い出した。
これらは本書の中で私が個人的に興味を持った箇所の一部分に過ぎない。むしろそんな興味が極小に思えるほどにバロックの魅力は広大であり、その魅力を、美術史界の重鎮である著者は政治的、宗教的な背景を抜かりなく押さえつつ、淀みない筆致で語り尽していく。内容は広範だが流麗な文章のおかげで最後まで一気に読めてしまう。
美術や芸術に興味がなくても、バロックを入り口にすれば誰でも何かしらピンポイントで興味のある事象に出会えるのではないだろうか。
ちなみに本書は90年代に刊行された小学館版『バッハ全集』全15巻の各巻に掲載された文章「バロックの美術」をまとめたものであるが、バッハに関する記述は出てこない。
バロック美術とは台頭しつつあるプロテスタント勢力に対抗すべく、カトリック側がクライアントとなって仕掛けた一種のコマーシャルアートであり、対するプロテスタントは感覚的、享楽的なもの、ましてや聖像をも否定する禁欲的な教義により、もっぱら表現の矛先が音楽に向かっていったということである。これも非常に興味をそそられるテーマなので、今後の読書の指標にしてみたいと思う。