読書メモ 『地震と社会 下 「阪神大震災」記』
『地震と社会 下 「阪神大震災」記』
外岡 秀俊
みすず書房 1998年
1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災。犠牲者6,434人、負傷者43,792人を生んだ首都直下型地震は、発生から今年で25年が経つ。
文化的なバックグラウンドも含め、大震災を様々な視点から多角的に描いた上巻に続き、下巻では「避難と救援」「復興への道」「人の安全保障」という大きな三章を据え、いよいよ震災の核心に迫ってゆく。
近代の災害救助制度の変遷、避難所の類型化と個別事例、ボランティアの活躍、そして「人量り田伝説」にまでルーツを辿ることができる「災害弱者」の問題。現在の高みから過去の可能・不可能を振り分けるのは、容易いと言われるかもしれない。しかし、冷静な分析を経ずして過去から学ぶことは決してないだろうことが行間から伝わってくる。
関東大震災後に内相に就任した後藤新平の「復旧ではなく復興」のスローガンが、縦割り行政とセクショナリズムに阻まれ、大半が挫折した経緯は、時を置いて阪神大震災に影響を与えているという指摘、4兆円もの復興予算におけるインフラ復旧費の過剰な偏重、中央政府型集権により被災市民との対決の場に狩り出された被災都市自治体、被災地の要請を満たさない公的援助、既存のコミュニティを解体する仮設住宅。罹災の実態にそぐわない政策が被災者を疲弊させていく様子が、透けて見えてくる。
しかし私が本書で感服するのは、そのような大震災の個別の事例の取り上げ方や、それらへの分析の鋭さというよりも、むしろ著者の「記録」という行為へ対峙することの真摯さである。
地球物理学者であり、夏目漱石門下の高弟であった寺田寅彦の『天災と國防』という戦前の随筆が紹介されている。国防と天災を危機の同列次元に位置付けるという、当時として非常に鋭角な内容であったが、そこには「国家」を単位とする安全保障観から「国民」を主体とする安全保障観への転換の萌芽が見られる。
しかしその後、戦争という国難を迎え「非常時」という、曖昧なままに攻撃性を鼓舞する掛け声とともに、天災大国であるこの国では、その意義が忘却されていった。我々の、この忘却のメンタリティは何処からくるのか。
著者は『ロビンソン・クルーソー』で有名なダニエル・デフォーの『ペスト』を例に引いて、我が国では真の意味での「記録の文体」が、確立してこなかった点を指摘する。
西欧では度重なるペストの襲来が、統計や自然法則の発見を促し、またそうした科学精神と対峙する形で、個人の記憶を集団の記憶へと転化する「記録精神」が育くまれていった。この二つの流れが近代初頭の「神の再発見」という回路を通じて一つに結ばれ「災害文化」を形成してきた。
一方で、我が国では鴨長明の『方丈記』に見られるような「月日重なり、年經にしのちは、ことばにかけて言ひ出づる人だになし」といったあり方が、終には今日まで「災害文化」へと離脱を遂げる契機を持ち得なかった、と著者は言う。
大震災とは著者にとり、この国のシステムが崩壊する現場であった。災害の深刻さという「感情の波形」を伝えるだけの「災害報道の文体」は、どこまでいっても大震災の「構造」には迫り得ない。仮に本書にそのようなものを期待した読者は、恐らく早々にその期待を裏切られるだろう。大震災を「酒のさかなに」記憶を語り継ぐだけでは、「阪神大震災の体験そのものが失われることになる」と著者は警告する。内発的な「記録」をもって大震災を再構成し、この国のあり方に思い至らせるところに本書の意義があると思う。