身体を受け継ぐということ
探し物をしていたら、たまたま、2016年4月ごろの日記が出てきた。
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今朝、夢に亡くなった祖母が出てきた。
90歳を過ぎた祖母がおたふく風邪になり、
いつも寝ていた実家の2階で、
下膨れの赤い顔をして寝ている夢だった。
亡くなったのは桜が散り始めるこの時期だった。
享年97歳。
60歳頃から90歳過ぎまで、毎日欠かさず日記をつけていた。
亡くなった後、青いハガキサイズのキャンパスノートが山ほど出てきた。
お葬式が済んでから、親戚と一緒に読んでみた。
その日の畑の様子とか、人と会ったこと、孫やひ孫の成長を喜ぶ様子などが淡々と書かれていた。
よく見てみると、毎日のように「ありがとう」と書いてある。
愚痴らしい愚痴を一度もこぼさなかった人だったけれど、日記にもこぼしていなかったんだな。
しっかり生きろと言われているような気がした。
辛いこともあったろうに、黙々と畑仕事をしていたばあちゃんの背中を久しぶりに思い出した。
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祖母は生涯百姓として土に生きた人だった。祖母の野菜はいつもしっかりと締まりのある味がした。
焼き場で骨を拾っていたら、焼き場のおじさんが「ずいぶんしっかりと畑仕事をしてこられた方だったんですねぇ。足首の骨がこんなに太く残ってる。股関節をやった人は大体、足首の骨はほとんど残らないんですよ。」と言った。
たとえ職業を受け継ぐことはなくても、身体の性質は代々受け継がれていくものだと思う。
祖母の足首は、自分にも受け継がれているのだろうか。
私自身は、祖母のライフワークであった農業とは関係のない人生を渡り歩いてきたけれど、祖母のような立派な足首は、まだ自分の身体の奥底に残っているのだろうか。
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実は祖母の旦那さん(祖父)は、祖母の亡くなる40年ほど前に、60歳そこそこで亡くなっている。胃癌だった。
私は確か3歳くらいだったと思う。当時、癌は不治の病とされていた時代。一家一族の悲しみようは、幼かった私にも十分伝わった。
菊の花に包まれた祖父の遺体は目に焼き付いていて、いまだに鮮明に覚えている。
祖母が亡くなってちょうど49日過ぎたあたりに、こんな夢を見た。
場面は、祖母のお葬式。みんな喪服を着て、悲しみに打ちひしがれている。すると、そこに、40年前に亡くなった祖父が棺桶に眠ったまま現れる。祖父は、実はあの世の途中で冷凍保存されていたという。祖母が亡くなり、成仏するのをずっと待っていたのだ。
晴れて一緒にあの世に行けるようになったというので、いよいよ解凍された祖父の遺体は、祖母と一緒にあの世に送り出される。
どんなふうに送り出されたのか、詳しいことまではいまいち覚えてないのだが、最後は青い空の向こうのあの世に向かう祖父母を、一族晴れやかな気持ちで見送ったという夢だった。
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2016年4月の、祖母のおたふく風邪の夢に戻る。
日記を読んでいたら、夢から目覚めた時のことを思い出した。
起きてみると、自分の右の耳下腺が腫れているように感じる。その耳下腺をじっと感じているうちに、急に今まで感じたことのないくらい身体が立体的に感じられた。
身体は何層にもなっている、と聞いたことはあるが、そのときはじめて確信できた。
もしかしたら、祖母の足首は違う層の身体にはしっかりと埋め込まれていて、きちんと使われる日を待っているのかもしれない。
それは、直接「農業する」ということではなく、農業的な営みの中で開花する何かなのかもしれない。
いつ開花するのか全く見当もつかないし、私の代では開花しないのかもしれない。けれど、せめて次の世代にきちんと受け継がれていくように、愚痴をこぼさず黙々と生きていこう、と再び心に誓った。