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未来のために今を犠牲にしていいのか?

先日投稿させていただいた「『人生万事塞翁が馬』の意味が、ようやく腹に落ちてきた。」 について、息子や娘とも話してみました。

4月に高校3年になる息子からは「でもさ、将来のために今楽しい!って思いを我慢するってこと?だとしたら、なんかつまらない人生になっちゃうね」と言われました。

そうか。

確かに、私も高校生当時、同じことを思ったのでした。

将来のために今、やりたいことを我慢する。

貯金をしこたま残したまま、亡くなっていった方も多いと思います。

それ、本当にいいのかな?

確かに当時、そんな思いに囚われ、違和感を覚えたのでした。

息子になんて説明したらいいのかな。高校生だった自分に、どう説明すればその後の人生が輝いたのだろう。

改めて考えてみました。

「塞翁が馬」の真意は、今、感じている嬉しいことや楽しいことに水を差すのではなく、そこは感情の赴くままに、素直に喜んだとして、全く別の次元で、それに溺れるのではなく、未来をしっかり感じ取ろうね、ということかと思います。

感情が、心が揺り動かされる時、それにしっかりと乗ることが、変わるために必要だと、脳科学者の茂木健一郎さんもおっしゃっています。

感性として、最大級に感動に乗ったとして、理性としては、次起こってくるであろうことを考えなくちゃならない。

最大級に感動し尽くした時、改めて、さぁ、次はどうしようか?と理性が働く。その時に、「塞翁が馬」の出番となる。

とまぁ、そういうことかなと思います。

マックス感動したら、人間は満足できる。すると、次にやるべき課題が見えてくる。

そういうことの繰り返しが、人生なのではないかと思います。

そういった振り幅が人生には必要だということかと。

歳を取れば取るほど、感動するには、若い頃と比べ振り幅が大きくなければ難しいことを実感します。

でも、だからこそ、人生がより緻密になっていくのだと思います。

亡くなるその日まで、成長し続けたいものですし、それができる道が開かれていること自体、ありがたいことだと思います。

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