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マーティン・マクドナー監督『イニシェリン島の精霊』所感

アイルランドには若い頃から憧れがあった。
チーフタンズやポーグスなど、アイルランドの音楽や紋章の美しさも好きだった。

「ガリア人」と呼ばれている人たちが、現在のケルト人に近いという記事も見たが、諸説あるようだ。紀元前1世紀にカエサルの記した『ガリア戦記』は、ガリア人について詳しいらしい。カエサルは敵のことを相当綿密に調査したようなので、きっと貴重な資料なのだと思う。いつか読まねば、と思いながら未読である。

人それぞれの感想

たまたまロケ地であるアラン諸島のイニシュモア島の写真を見かけて、絶対観たい!と思った。

結婚する前はずいぶん一人で映画を観に行ったものだけど、結婚後は子育てやら仕事やらで映画を一人で観に行くなんて、休日のリストには決して上がってこなかったものだった。

いろいろな偶然が重なって、今回はかなり久しぶりに一人で観に行くことになった。

実はこの映画、写真でピピッときて直感的に観に行ったので、事前情報が全くない状態で観たことになる。

おそらく10人いれば10人とも、見方も感想も違う映画なんだろうと思う。
それに、誰かの意見に合わせて「そうよね」と軽く言わせないようなマクドナーのプレッシャーも感じる(苦笑)

この映画を人に勧めるような感じで書こうと思えば書けるけど、それもやってはいけないような気もする。

だから、いくら書いてもただの独り言になるだろうし、だったら日記にでも走り書きしておけばいいのだろうけれど、今、この感じをしっかりと書き留めておきたい衝動だけがある(笑)

なので、まさに「個人的な納得感」だけを求めて書いているので、「何いってんの?」と思われるのは覚悟の上(苦笑)…。
ということをご了承いただければありがたいです(笑)

予告編だけ貼っておきます。

「いい人」は、本当にいい人か?

観ている間中、この二人はどうなるの?と、不安で胃が縮みそうだった。
最後まですれ違っているようで、実はドンピシャなのかもしれない。
それをどうだか、判断にも困るし、映画の方で判断させる気もない。

もどかしくてどうしようもない感じや皮肉だらけの展開は、カズオ・イシグロを彷彿とさせる。

主役のパードリックは、いわゆる「いい人」である。
けれど、いい人って本当にいい人なんだろうか?

本当に深くコミュニケーションしようとしたら、おそらく人は、痛みを伴わずにはいられないのではないだろうか。その時には「いい人」ではいられないことも往々にしてあるはずだ。

そういう面から見れば、この映画はパードリックの成長の物語とも言えるかもしれない。

上部だけを取り繕って、その時その場を楽しく過ごす。
それも大切なことだけど、こと親友とのやり取りでは許されないこと、少なくとも、コルムにとっては許し難いことだったに違いない。

壮絶な展開の中で、観ている側も翻弄されながら、結末を迎える。

結末の受け取り方は人それぞれだと思うけれど、少なくとも、映画の始まる前までの二人の関係性は、大きく変化している。たぶんお互いの立ち位置も全く変わっている。

この結末に至るまでに、ここまで壮絶でやりきれない展開を重ねていくあたり、マクドナー監督が奇才と言われる所以なんだろうと納得した。

ドストエフスキーの小説の中で、台詞の応酬が展開し、展開を重ねた先に登場人物の関係性が思わぬ方向に変化していく驚きや、そのときの読み手の感覚の変化に近いものを感じた。

生きている「ふり」をしていないか?

人生の中で、一体何が無駄なんだろう。
些細な会話、作曲すること、読書すること、恋をすること、祈ること。

人が大事にしたいことはまさに人それぞれで、相手にとってくだらないことも、本人にとってはものすごく大切だということは往々にしてある。

そこが人間のコミュニケーションの難しさで、「相手をリスペクトしないといけません」「多様性を大切にしましょう」というのはまさにそういうことだと思う。

でも、「相手をリスペクトしたふりをしている」ことが、社会の中でどれくらいあるだろう。

本気で命懸けで生きていくなら、そういった「ふり」は無意味だし、馬鹿らしい。「スノッブさ」や「忖度」もそういったところから出てくるだろう。

社会生活の中で「ふり」をするのは、時には大切だ。けれど、そっちばかりに人生の時間を費やせば、本当に何のために生きてるのかわからなくなる。

この映画の中に出てくる「道化」たちは、まさにそういった人たちだ。
教会の神父ですら「道化」だ。
道化になりきれなかった若者は、途中で足を踏み外して死んでしまう。

自然の美しさ

命懸けでコミュニケーションを再構築しようとする人たち。
ゲスい道化のまま生きようとする人たち。

それらを見ている精霊(バンシーズ)は最後に泣くのか?

時は100年前、アイルランド内戦中の1923年。
戦争は徐々に収束に向かうが、彼らの戦いはどうなっていくのだろう。

不安とも悲しみとも言えないようなどっちつかずの感情。

イニシェリン島の自然や、アイルランドの歴史をそのまま遺したような石積み、藁葺きの家、素朴なくらし、そしてロバや犬たち。

とてつもなく美しく、無垢なものが、さまざまな人間の生き様を包み込み、なんとも言えない不思議な感覚が湧いてくる。胃が縮むような感覚は次第に遠のいていった。

終わりに

映画を観終わって、辻堂から鎌倉に戻る途中。
大船で降りる時に、酔っ払いのおじさんが電車からおりきれず、頭をドアに挟みそうになった。

思わず頭を抱き抱えて、打撲しないようにし、周りの他の乗客と一緒になってホームまで担ぎ出した。

──本当に自分の中のリアルさに、厳密に生きているか。

外の戦いはいつかは終わるけれど、人間の内面では生きている限りある種の戦いがある。たとえ誰かが傷ついても、どんなことであっても、真剣に命懸けに生きていかなければ、そこに意味はないんじゃないか。

おじさんの頭を抱き抱えながら、そんなことを思った。























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