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あなたにとっての「当たり前」というメガネ

先日も、3歳の娘の中に育ちつつあるジェンダーバイアスについてのnoteを書いたが、相変わらず今でもそのような会話を繰り返している。

娘は、「ママはおんなだからプリキュアにね。パパはおとこだから仮面ライダー」っていうのを聞いて、「ママはおんなだけど、どちらかというと仮面ライダーになりたいよ。プリキュアいやだよ」と言ったのだが、娘は全く納得できない様子。

「ママはおんなだから、仮面ライダーにはなれないよ」って言われたけど、「いや、なれるかもしれないじゃん。少なくともおんなだからプリキュアって決められるのは、ママはいや」と負けじと応戦。

娘は、保育園という社会の中で、みんなの中にある「当たり前」という感覚を少しずつインストールしつつある。それは当然のことなんだけど、一回疑ってみるステップを挟んでみてほしいんだ〜、母ちゃんは。

みんなが「こう」といっている事に、自分も同調することしか道として用意されていないという感覚を持ってほしくないのよ。

「当たり前」ってメガネを一度装着しちゃうと、なかなかそのメガネを装着していないことに気がつけなくなるから。そして、そのメガネを装着していない人と、わかりあう事がとても難しくなってしまうから。そのメガネを装着し続ける選択をしてもいいけど、取り外すという選択が常に自分にはあるという感覚を育んで欲しいわ〜。

みんなが「こう」ということを「正」とする方が楽なのかもしれないんだけど、せっかくの人生なんだから、自分が本当に「こう」と思えることに心躍らせて生きていって欲しいわ。

ジェンダーのことに限らず、世の中そういうことだらけだからね。常に自分が知らずのうちに装着しちゃっている「当たり前」のメガネを、自覚できるような環境に身を置いて、生きていって欲しいと願っています。自分の心の声を聞くのって結構エネルギーいるけど、それが難しくなった時のサポートは全身全霊するので、是非とも目を背けないで〜。

そういう感覚って、筋トレなようなもので、練習を繰り返さないと身につかない感覚な気がしているの。だから、結構面倒くさい母ちゃんで申し訳ないけど、違和感ある発言あったらやさしく「否♡疑♡」と唱えさせていただくわ。

という、ある意味でスパルタな母でした。3歳の娘に求めすぎ?

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