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不安な時は小さいことに励む

不安な時は小さいことに励む。
社会のために大きな事をしようとすると、閑人(ひまじん)になる。
めんどくさいと思ってやらないと不安になっていく。
小さなことでも心を込める。

日本初の女性ジャーナリスト羽仁もと子の著作集「友への手紙」の「閑人」という箇所にこうあります。

身近にある仕事を雑用雑用などといって問題にもせず、何か世の中のために大きな仕事をしたいなどと思うのは、閑人になる一つの手はじめなのです。

羽仁もと子著作集 第19巻「友への手紙」ー「閑人」より

3年前ここを読んで感想を聞かせてくれたNさんが冒頭の旨を述べていました。

私はもともと何でも丁寧にする方だったけど、子育ての忙しさも相まって、他の人が効率よく物事を進める様子を見ると、余計なものは省きたい気持ちになっていました。

第1子が生まれた時、1年の育休から復帰した時、「手を抜かなあかんよ」と言われました。インド相手の仕事で、きちんとしていても、すぐ問題が起こる仕事でした。手を抜いたら、その瞬間色々こぼれ落ちることがいっぱい出て来そうで、またそのアドバイスをしてくれた人も、きっちりする人で、上手に手を抜いてるお手本・モデルケースがいなかったのです。

また、そこから数年後仕事は辞めたのですが、子どもが小さい時はあまり手を広げない方がいいと思っていました。子育てする母は孤独という声も聞きますが、私は好奇心旺盛ですぐ何かの講習会など行くので、社会とつながる機会を持つのは自然な流れでした。そうするとボランティア的な役割をすることもあったのですが、同年代の子どもがいる母に「仕事しなくていいんですか?」と言われたことがあります。

私も仕事をしないでも余裕のある家計というわけではありませんでしたが、子どもが生まれてからは、独身時代から続く仕事人間な生活に不自然さを感じ、また小さいうちは子どもといたい気持ちが強くて、仕事はしない選択をしました。

でも、人から見ると、「仕事をしていない人」。
仕事やお金を得ること以外ですることは、無駄なことと言われているようで悲しくなりました。

でも、その人の生活を見ても、仕事は大きな仕事かもしれないけど、食事は外食中心で、家のことはあまりしていない。私の価値観とは違ったものでした。
それでも、言われた時はショックで、なんだか私が大切にしている生活のことなど、しても意味がないのかな、無駄なことなのかな…と思うようになりました。

そうすると、生活に関する小さなことをしなくなったんですよね。
家計簿は先延ばし。
片付けはできる時いつかする。
子どもの学校の手紙はまとめて見る。いつか見る。

でもそれが積もり積もると、嫌気がさしてきました。

世の中では、それまでの昭和的な価値観の反動で、
「やりたくないことはやめて、やりたいことをする」
「やるべきことより、やりたいことを優先」
「自分で自分のご機嫌を取る」
ということがキラキラしてる、素晴らしいかのようにいう風潮でした。


でもね、やるべき小さなことをやってないと、足元がおぼつかない。
自分で自分がイヤになる。

身の周りの小さなことは、誰かに褒められるようなことではない。
人に見せるようなキラキラしたものでもない。

でも、「身近なこと、やるべきことを本気でする」。
自分はそういうことを大切にして生活して来たというNさんの言葉を聞いて、やっぱりそれが大切ですよね!と安堵の気持ちになったのです。
自分もそれが大事だと思っていたけど、背中を押してもらえた感じ。


昨日、X(旧Twitter)でこんな記事を見ました。

「仕事以外に社会が存在しないという状態そのものが不健康」という資本主義の現代を表す投稿に対して、「今(の世の中)は『仕事』に全振りしてる」というコメント。


身の周りの小さなことを疎かにして、社会で大きな仕事をしているつもりになっている人が大勢います。
でも、私はやっぱり身近なことも大切にしていきたいと思います。
それが両立できる社会でないのは不健全。

自分が大切と思う小さなこと、それが一番大事。


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