ベルリンの電車。ぼてっとした可愛いデザインなのだ。汚れても年季が入っても可愛いくなるだろう。 東京の電車は、ベルリンに比べて、スタイリッシュと表現したい。東京の電車は、生活感、(日本に住む人たちにとってだが)現実感が溢れたエモーショナルな感じにはなる。 (電信柱!とか、ネオン!とか。) 旅行者達には、ガチャガチャした広告で溢れてて、狭くて小さい場所に人と生活と全てがpackされてるTokyoの一部として映っているかもしれない。 もしくは近未来的な都市の味を出しているのかな。
①水道蛇口 ②ハンドソープを出す機械 ③手洗い場 ④トイレの水流すボタン ⑤トイレの水流すレバー ※おまけ
旅行中、自分が異物として浮いているような感じがした。周りと繋がりが一切ない状態だからだと思う。 来る前は、「日本は全部が綺麗で、整っていて、気が行き届いていて、便利で。だからこそ、細かいことを気にしすぎて、ストレス社会で、精神病が溢れているんだ!日本なんてクソ喰らえ!」なんて思っていたのに、現地では、日本の愛着のある物が沢山、脳内を巡った。 行きつけのお店、焼き鮭、そこそこ美味しいコンビニ食、いつも通る道、夕焼け、家族、職場の人、東京の空気、ダサくてつまらないふるさと的情
①上部にあるライト ②翼の王国
海外は、見た目が良い食べ物が多い気がする。クリームどかーん、チョコどっぷり、カラフルな色がパラパラ。 確かに、こればかり食べてたらお腹はたるんたるんになるかもしれないし、残してしまう量なので、環境にも悪い。でも、食べる時のワクワク、食べ物を前にした時のワクワクって、こういう”どかーん”,”どっぷり”、”カラフル〜”が叶えてくれている所もあると思う。 ワクワクする食べ物、日本でも作ってみようかな。
一人旅ということで、周りからも心配の声や「寂しくないの?」といった声もあったが、地域がそこまで治安の悪い地域ではないし、私は一人旅の方が精神的には楽ちんだった。 一人旅にした理由は、主に2点ある。 1点目。気を遣いたくないからだ。 他人と数日間、大体の生活を共にするのだから齟齬が出てくるのは当たり前。ただ私はわがままの数が多い、こだわりが強いと自分で分かっている。私のわがままは、通常の人よりも「結構な量と濃さのわがまま」になってしまっている気がするのだ。だから、あんまりわが
一人旅をしていて、感じたこと。 私は、色んな人がいて、皆それぞれ好きなようにしていて、ワーキャー言ってる人もいれば、静かにしている人もいる動物園みたいな環境が楽だということだ。 ある都市のホステルでは、深夜まで好きな人はパーティーに参加できた。好きな人はキッチンで料理をしていた。好きな人は中庭で雑談していた。クラブ帰りの人がタクシーで深夜に帰宅するため、窓の外からは終始、車が走る音と人の声がしていた。 そこで過ごした数日間は、とても解放されていた。 私は、パリピではないの
日本にいると、私の中で、「日本気質」がエクストリーム化してしまう。 例えば、日本は海外よりも衛生的かもしれない。日本で、皆が衛生的にしていたら、自分も衛生的になろうと、手をこまめに洗ったり、ウェットティッシュを持ち歩いたりする。 また、日本は海外よりも他人に気を利かすと言えるかもしれない。日本では、「あの人に今話しかけたらまずいかな」と非常に気にする。 今回、海外にでかけたから、うがいをしなかった。そんなに手を洗わなかった。マスクはしない。他人が何をしているかも、あまり気に
海外旅行に行ってきた。 海外旅行と言っても、何を一番楽しんだかと言うと、多分、電車に乗っている時だと思う。電車に乗っている時が、なんで心地よいかを考えてみると、何もしなくても、生産的なことをしている感覚に陥れるからだと思う。 「私は、次の目的地に進んでいる途中、止まってはいない、生産的である。」と。 実際、せっせと働いているのは電車で、私はただ乗っているだけ。なのに、こう言う風に思えるのは、”電車マジック”だと思う。 後は、慣れてくると現地の切符を買う機械を触ることや現金を使
現実に起こっていることがつまらない。 ここから自由になれたらいいなと思って、現実とは違う非現実に、ぼんやり心を寄せて、今に心がない。現状を受け入れられない、向き合えないって子供だ。今が楽しくないと文句を言うだけで、楽しもうと努力もしない。 いつまでも落ち着かなくて、皆に心配と迷惑をかけている。 頭ではわかっている。 どこに行っても、私はある空間の中に所属することからは逃げられない。だから、いっそのこと、今そこにいることを諦めなさいと自分に諭す。でも、諦められない。 自分の
だけど、 駅のお手洗いの水がお湯だったり、 フレンチブルドックが巨漢と散歩していたり、 メニューから消えたはずのレモンティーが奇跡的に頼めたり、 つるっぱげの赤ちゃんが大木の下にちょこんと座っていたり(勿論、お母さんが近くに立っている)、 たまーに、非現実的な私を叩き起こしてくれる素晴らしい現実の一瞬一瞬があったりする。
私には妄想癖がある。 未来に大成功が待っていると妄想する。 でも、そんなの非現実的。 私は、いつも非現実的なことしか考えない。 だけど、目の前に起こるのは、いつも現実的なことばかり。当たり前だ。現実なんだから。非現実的なことが起こるわけないでしょう。 だから、悲しすぎて、つまらなすぎて。 それに、私は非現実的なことばかり考えてきたから、現実的なことを叶えるための技術に乏しい。 例えば、友達と行くレストランの予約にも慣れていない。 だから、頭にあることを現実に変えてあげようと
私は、メイクがあまり好きではない。 絹豆腐のような、ゆで卵のような、すっとした、ふわっとした、きめ細やかな、すっぴんの肌の上に、メイクをすると心地があまり良くないのだ。 自分がメイクするのも、人がメイクしているのも、あまり好きではない。 メイクは、その人の努力だと思う。 メイクをするのには、理由がある。 マナーとして。かわいくなりたいから。彼氏が欲しいから。ただメイクをしたいから。 他人が頑張っているのに、自分磨きをしているのに、好きではないというのは大変失礼だということ
※個人的な英語の興味記録なので、正確性に欠けます。勉強の参考にしないでください。 恥ずかしながら、過去に痔を患ったことがある。最近、友達がお腹を下しやすい渡航先に行きたいが、お腹を下すのが怖くて行く勇気が出ないということを話していた。 日本でさえ、何かを食べるとすぐにお腹を下すことに慣れ、過去に痔を患うほどであった私は、その渡航先に行っても、あまりショックが少ないだろうなと思った。(脱水で病院に運ばれるなど、普通の人を超える症状になるのかもしれないが) そういえば、痔は英
※私なりに聴いて解釈してしまったので、歌の解釈が違うかもしれません。 Serena Gomezが歌うティンカーベルの”Fly to your heart”という歌がある。 私にとって、現実の私の肉体と、そこから離れている私の心を表現している歌。そしてその状態を肯定してくれる歌。 私は非現実的なことで常に頭がいっぱいである。私の夢は現実が終わった時、私が死ぬ時に叶うかもしれない。ただ、現実に生きている人達は、死ぬことを経験してないから、「死んだ後に、私の夢が叶うよ〜」なんて